ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

カラバッジョ没後400年記念の展覧会の盛況と聖書

 今年はイタリア生まれの天才画家カラバッジョが亡くなってから400年経過したとの事で、それを記念した展覧会がローマで開催され、連日多くの人々が詰めかけ、大盛況だそうです。
 私が初めて新聞で見たのは、彼の晩年の傑作と言われる「聖ヨハネの斬首」の絵画でした。これが実にリアルで、聖書を読み込んだ彼の想像力の凄さに感嘆したものでした。
 それからは図書館で彼の絵画集を借りて家でスキャンし、保存して時々眺めていました。なぜこうまでリアルに描けるのかといつも思っていましたが、ネットで調べたら「虚空界摩訶不思議 by heibay」さんのブログに遭遇し、その秘密が分かったような気がしました。
 この方の映画『カラヴァッジョ』という題のブログは大変充実しており、カラバッジョの生涯だけでなく、その代表的な絵画まで多く載せています。私がCDに保存していたものを見るまでもなく、その全てがこのブログで紹介されていて助かりました。
 それでカラバッジョの絵画のリアル感は、どこから来たのか、heibayさんはこう言っています。「 当時のローマでも日本と同じように公開処刑で、首を切られる瞬間の顔や、火あぶりにされる、表情をリアルに見ることが出来、カラバッジョは、その場面を絵に描いている」。
 なるほどと思いました。イタリア・ルネッサンスが終わる頃登場したカラバッジョは、まだ公開処刑があった為、その場面を実際に見たのだそうです。その事実は知りませんでした。日本なら江戸時代でしょうか、キリシタンたちが十字架で処刑されており、それを眺めた人々が多くいた場面が絵として残っています。
 かつて随筆で書いた事がありますが、天草の反乱で全員が戦死か処刑された時、たった一人生き残った者がいたそうです。それが山田右衛門作という人で絵画師でした。彼は日本のユダとして有名なんだそうです。幕府側に寝返り、そこで安全に暮らしながら、要請に答えてキリスト処刑の場面を多く絵画にし、それがかなりリアルだったそうです。その為幕府側では、キリシタンたちの減少を期待したのですが、この貼り出された絵を見て拝む人が多く起こされ、逆効果となりました。その為、結局は右衛門作も処刑されたという事です。
 その点カラバッジョは「信徒」であったので、処刑の現場では安全だったのでしょう。首を切られた人の表情などを怜悧に観察出来たのでしょう。それが例えば「ダビデゴリアテ」という絵画において、首を切られたゴリアテのうちに表われているようです。
 しかしカラバッジョの生涯は波乱万丈だったようで、38歳で亡くなっています。そのあたりをheibayさんのブログから借用しますと、「…やくざの親分を剣で殺めたため、指名手配…最後は、マルタ騎士団にかくまってもらったが、騎士団の小隊長にきらわれ、脱出し、ローマで恩赦になったが、地方の守備隊に伝わらず誤認逮捕、ローマへ船で移動中マラリアにより死亡です」とあります。彼は殺人の罪を犯してしまったのです!
 これを見ますと、聖書における最初の殺人者カインを思い出させます。罪を犯したアダムとエバは、その後多くの息子・娘たちを生みましたが、カインはそのうちの長男でした。そして次に次男としてアベルが生まれました。二人とも主なる神への信仰者でしたが、アベルの方がより敬虔で、主への捧げものは良しとされましたが、カインのものは退けられました。
 その為カインはアベルに嫉妬し、野において彼を殺してしまいました。聖書における最初の殺人者です。
 「しかし、カインは弟アベルに話しかけた。『野に行こうではないか。』そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した」(創世4:8)。
 その結果神は彼に刑罰を科されました。「それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ」(創世4:12)。こうして彼はさすらう者となり、エデンの東の地ノデに住み着きましたが、その後彼の消息は絶えています。カラバッジョと同じく病死したかも知れません。
 私たちが学ぶべき事は、アダムの犯した罪の性質が今日誰にでも受け継がれているという事実です。カイン…カラバッジョ…私たちです。ですから人がどんなに自分は敬虔に暮らしているといっても、殺人の罪を犯さないと断言出来ないのです。最近でも「あの人が殺人を犯すなんて」と絶句する事例があるでしょう。それが行動に現われた罪の恐ろしいところです。
 カラバッジョの絵画を愛好する者の一人として、その生涯を聖書を紐解きながら考えてみました。