ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ゾルゲ・スパイ事件と聖書の例

 4月3日の朝日新聞昭和史再訪では、1941年10月のゾルゲ事件を扱っていました。
 ゾルゲは現アゼルバイジャン共和国バクー生まれ、父親がドイツ人、母親がロシア人、第一次世界大戦でのドイツとロシアとの戦いでドイツ軍の一兵士として戦い、「体と心に傷を負った人だった」と朝日の記者は記しています。
 彼はドイツで共産党に入り、後モスクワに移って共産主義の普及活動に携わります。国際共産党コミンテルン)に属してから上海に向かい、そこでスパイ活動を開始しました。その時知り合ったのが日本人尾崎秀美(ほつみ)でした。
 昭和5年の事ですが、それから2年後にはドイツでナチ党が政権をとり、翌年ヒトラーが首相となりました。このナチ党の一党独裁により、社会主義者たちは弾圧され、スターリン体制のソ連には脅威となりました。
 昭和11年スペイン内戦を契機として、ドイツとイタリアは友好関係を強めましたが、日本でソ連やドイツの動きを見ていた広田内閣は、遂にドイツに接近「日独防共協定」を結んだのでした。
 ゾルゲはそれより2年ほど前、ナチス党員を装って日本にやって来ました。そしてスパイとしてソ連に情報を送り続けていました。その時協力したのが上海で知り合った尾崎でした。彼は近衛内閣のブレーンとなってゾルゲのスパイ活動に協力していたわけですが、昭和16年から翌年にかけ、この二人や関与したスパイたちが逮捕され、ゾルゲ・スパイ事件が発覚してしまいました。昭和19年11月東条内閣末期状態に近い中、ロシア革命記念日という日が選ばれ、ゾルゲと尾崎は処刑されたのでした。
 しかし彼らの情報はソ連には有益だったでしょう。昭和45年8月、日本の敗戦を決定的としたソ連の日本参戦は大勝利を収めました。
 このソ連によるゾルゲを通してのスパイ活動、及び日本の協力者尾崎、そしてソ連の日本に対する勝利という図式は、聖書にも当てはまります。
 それはヨシュア記に出て来ます。イスラエルの指揮者ヨシュアは、約束地カナンを目の前にして、対岸の地と強力な要塞であったエリコの状況を探ろうとします。
 その時二人の者をスパイとしてエリコの町に侵入させましたが、この二人の為に協力したのが遊女ラハブでした。
 エリコの王は彼らのスパイ活動を察知し、ラハブのもとに人を遣わしました。しかしラハブはその場をうまく切り抜け、二人を無事逃がしてあげたのでした。またラハブ自身も助かりました。そしてヨルダン川を渡ったイスラエルは、このエリコの要塞で最初の大勝利を収めました。ゾルゲと尾崎は死にましたが、この二人のスパイと協力者ラハブは安全でした。そこには主である神の守りがありました。
 「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました」(ヘブル11:31)。
 さらにこのラハブはサルモンという人の妻で、その家系からダビデ、そして救い主イエス・キリストがお生まれになります(マタイ1)。
 「サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ…キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった」(マタイ1:5〜16)。
 この遊女ラハブ、何やらドストエフスキーの『罪と罰』において、殺人者ラスコリニコフを救いに導いた遊女ソーニヤに似ていますね。