ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

伊勢神宮の五十種類の和釘製作を新潟三条の鍛冶屋に頼む事と聖書の記事

 小関智弘著『町工場・スーパーなものづくり』を読みました。ベテランの旋盤工である小関さん自身の体験談や、精密加工工場訪問により、ものづくりたちのすばらしいアイデアや意気込みを伝えています。
 かつて大学闘争を経験した後、母親の介護もあって、近くの日産工場下請けの所へ働きに出かけ、建築板金の見習いとして働いた事があります。その時思ったのは、大学を出てからではこうした仕事は遅いという事で(実際溶接という魅力ある仕事がモノになりませんでした。例外は鉄の曲げ仕事だけ)、諦めた事があります。しかし小関さんは手先が不器用という事で諦めるのは早いといさめているようです。その幾つかの著作を読み、この世界に飛び込んだ若者たちはきっと多くいると思います。そして彼らは実際親方を凌ぎ、立派な職人になっているようです。
 東京大田区などの中小工場が底力を見せ付けていた頃の取材から、およそ10年経過していますが、今この大不況の中そうした工場はどうなっているのでしょうか。後継者がいなくなり、閉鎖が続出する事のないよう祈ります。
 小関さんはこの本の最初のほうで伊勢神宮の鍛冶屋さんの事に触れていました。
 伊勢神宮は二十年に一度造りかえられるそうですが、その時私たちが普通に見かける洋釘とは異なり、日本に独特な和釘というものが使用されるそうです。その種類が何と五十種類ほど、合計八万本になるそうです。
 その釘の製造ですが、小関さんはこう書いています。「和釘のひとつひとつについて設計図があり、鍛冶屋さんはその設計図にしたがって、一本一本を火造らなければならない。火造りとは、鋼の材料を火で加熱して、やわらかいうちにハンマーでたたいて必要な形にする作業をいう」。
 これは大変な事ですが、伊勢神宮の和釘とはどういうものでしょうか。以下のブログに載っていたので、借用させて頂きました。
 http://blogs.yahoo.co.jp/tsurikichi2001/61104347.html

 この大変さの為に、遂に伊勢神宮では鍛冶屋さんがいなくなってしまったそうです。そこで新たに「新潟県三条の鍛冶屋さんたちに、その仕事がゆだねられたのだった」とあります。
 ところがこのわざは三条では伝えられていなかったそうです。しかしそこは職人ですから絶対に引く事は出来ません。実に三年をかけて全ての和釘を打ち、完成させたそうです。すごい事です。
 この技芸をよそに頼んだ事から、聖書の記事が浮かんで来ました。
 「スラエルの地のどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブル人が剣や槍を作るといけないから、とペリシテ人が言っていたからである。それでイスラエルはみな、鋤や、くわや、斧や、かまをとぐために、ペリシテ人のところへ下って行っていた。鋤や、くわや、三又のほこや、斧や、突き棒を直すのに、その料金は一ピムであった」(サムエル第一13:19−21)。
 これを見ますと、イスラエルの王サウルの時代、その地のどこにも鍛冶屋がいなかったのです。そこで畑仕事などで使う鉄製品がなまって使い物にならなくなった時、人々はその地に敵対的共存していたペリシテ人の鍛冶屋のところへ行き、金を払ってそのなまった部分を打ち直してもらったわけです。まさに伊勢神宮の責任者が新潟三条の鍛冶屋に依頼した事と同じですね。
 ですから聖書は面白い!いろいろ本を読むと、聖書の同じような箇所が頭に浮かんで来ます。多く記憶しておけばおくほど、引用出来るというわけです。