ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

カチンの森事件追悼式典に出席する為、ポーランド大統領夫妻が乗った専用機の墜落と、旧ソ連によるポーランド将校大虐殺事件

 4月11日の朝刊は、旧ソ連によるポーランド将校らの大虐殺事件70年の追悼式典に出席する為、ポーランド大統領カチンスキ夫妻及び、そのカチンの森事件の遺族ら約50人が乗った専用機が墜落し、全員が死亡した事を伝えていました。
 戦時のカチンの森事件が大きな悲劇とすれば、今度の飛行機墜落事故は、戦争以外での大惨事となってしまいました。
 実は私は岩波ホールでずっと上映されていた映画「カチンの森」を見ました。カラーの映画の中で当時のカチンの森から発掘されたポーランド人たちの遺体のフィルムが、モノクロで写し出され、その生々しさを伝えていました。
 なぜそのような大量虐殺事件が起きたのでしょうか?
 1939年ポーランドはドイツの侵攻を受けました。第二次世界大戦の勃発です。その直前にドイツは旧ソ連独ソ不可侵条約を結んでいました。ですからポーランドはまた旧ソ連の侵入も受けて壊滅状態に陥りました。その為旧ソ連支配下に置かれたポーランド東部では、軍人を主体とし一部民間人も含め旧ソ連の捕虜となりました。その数およそ2万3千人でした。その為ポーランドの亡命政府は、大勢の軍人・民間人が行方不明となった事に対して、旧ソ連に何度も問い合わせたそうですが、満足な回答が得られなかったそうです(ウイキペディアより)。
 その真相が明らかになったのは、ドイツ軍によるカチンの森でのポーランド人の死体の発見によりました。この調査は戦前・戦後を通じて行われました。死体は全て後ろ手に縛られ、頭部を拳銃で射抜かれていました。
 しかし旧ソ連はその事実を隠し続けており、1952年になってから、米国により旧ソ連のしわざだと発表されました。
 1990年旧ソ連ゴルバチョフ大統領がその事実を初めて認めました。しかし正式の和解は2010年まで持ち越されました。ロシアのプーチン首相がポーランドを訪問したそうです。
 今回の専用機墜落事故はそれから僅か数日後起きたのでした。
 こうした残虐な事件は第二次世界大戦中、世界の至るところで生じ、旧日本軍も南京などで起こしています。
 誰でもそうした残虐な事を起こせるのです。それは全世界の人々の心のうちに潜む「罪」の為です。そして聖書においては、神ご自身がそれを暴露しておられます。
 箇所は多くありますが、例えばサムエル第一22では初代のイスラエル王サウルによる大虐殺の記事があります。
 「それから、王はそばに立っていた近衛兵たちに言った。『近寄って、主の祭司たちを殺せ。彼らはダビデにくみし、彼が逃げているのを知りながら、それを私の耳に入れなかったからだ。」しかし王の家来たちは、主の祭司たちに手を出して撃ちかかろうとはしなかった。それで王はドエグに言った。「おまえが近寄って祭司たちに撃ちかかれ。』そこでエドム人ドエグが近寄って、祭司たちに撃ちかかった。その日、彼は八十五人を殺した。それぞれ亜麻布のエポデを着ていた人であった。彼は祭司の町ノブを、男も女も、子どもも乳飲み子までも、剣の刃で打った。牛もろばも羊も、剣の刃で打った」(サムエル第一22:17−19)。
 カチンの森の大虐殺がスターリンというトップによるものであったとすれば、聖書における主の祭司たちの大虐殺は、やはりサウルというトップによるものでした。そして下手人はエドム人ドエグでした。彼は主に仕えている大切な人々である祭司たちを、一気に85人も殺してしまいました。それだけではありません。彼らが住んでいた町の民間人を男女や子どもに至るまで、剣で殺してしまいました。
 繰り返しますが、このサウル王は民に推され、油注がれてイスラエルの初代の王となった人です。その王がこのような恐ろしい大虐殺を引き起こしたのです。勿論それは彼の「罪」によるものでした。そして神はその事をあらわにされました。
 イスラエル人にとってはなはだ不名誉な歴史ですが、神はご自身の聖さを際立たせるため、このような虐殺事件も聖書記者を通して書かせられました。一方この神が不在な日本では、軍のトップの命令で、第二次世界大戦中相当多くの虐殺事件が起こされましたが、かなりが真相不明のままです。また聖書のように改ざんもないものと違い、その時代時代で解釈が変えられ、抹消されて来たことでしょう。