ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

竹内好の『近代の超克』、平和より戦争を好む人々と聖書箇所

 竹内好の『近代の超克』を読みました。実は『中国の近代と日本の近代』という有名な本のついでという感じだったのですが、前者のほうを興味深く読んだ次第です。
 その冒頭は「『近代の超克』というのは、戦争中の日本の知識人をとらえた流行語の一つであった」という書き出しになっています。このタイトル自体は、昭和17年の雑誌文学界に載ったシンポジウムで掲げられていたそうです。
 そしてそこに参加した知識人とは、文学界グループの中村光夫林房雄三好達治亀井勝一郎河上徹太郎小林秀雄、そして哲学の下村寅太郎西谷啓治、歴史の鈴木成高、音楽の諸井三郎、映画の津村秀夫、神学の吉満義彦、科学の菊池正士、総計13人でした。
 今の若い人々はほとんど知らないと思いますが、戦前の日本ではまさにそうそうたるメンバーでした。戦後生まれの私でもその人々の名を覚えているのは、たぶん彼らの何人かの文章がよく大学入試の国語の試験で取り上げられていたからでしょう。
 では彼らはどんな事をしたのでしょうか。
 昭和16年12月に英米を敵国とする太平洋戦争が始まりました。昭和6年にまで遡る対中国侵略戦争がうまく進まず膠着状態で、国民の間に鬱屈した精神が蔓延していた時、陸海軍が突如真珠湾攻撃・南方攻略など緒戦に大勝利を収め、一時国民の間に異常な興奮、高揚感をもたらしていた事が、このシンポジウムの背景にあるようです。
 その時この文学界の河上徹太郎は、「混沌暗鬱たる平和は、戦争の純一さに比べて、何と濁った、不快なものであるか!」と書きました。それを受ける形で、亀井勝一郎は「戦争よりも恐ろしいのは平和である。…奴隷の平和よりも王者の戦争を!」と、文学界の論文に書いています。
 従ってここで近代というのは、ヨーロッパ的なものの事です。そして超克するというのは、日本民族共同体再生の為に、総力を挙げて戦争を遂行するという事です。反戦・平和ではなく、戦争への賛歌と宣伝です。上記知識人たちはそういう事をしました。
 その座談会は評判が良くて、第二、第三の座談会が文学界において開催された、と竹内は記しています。そして幾つかの文章を書き連ねていますが、その中に次のようなものもありました。「戦争と平和という互いに対立したものを止揚し、いわば、創造的、建設的戦争という新しい理念」「日本の国体が真理」「今度の戦争はかならず勝つ」等々です。これらを竹内は「見事な図式である」「教義学としては彼らは完璧である」と論評しています。
 日本の敗戦でそうした勇ましい発言は消えましたが、緒戦の頃彼ら知識人が聖戦遂行を旗印に掲げていたのは間違いありません。
 そうした事を考えながら、聖書の平和や戦いを検索してみますと、同じような事が既にそのみことばの中にあるのが分かります。
 「彼らは平和を語らず、地の平穏な人々に、欺きごとをたくらむからです」(詩35:20)。
 ここで彼らとは有名なダビデの敵の事です。また上記の知識人たちと言い換えても良いでしょう。その敵が平和を語らず、善良な民に対して戦いを言葉巧みに宣伝しています。
 「私は平和を――、私が話すと、彼らは戦いを望むのだ」(詩120:7)。
 これも私という主語はダビデでしょう。彼は平和を語っていますが、敵は戦いを望んでいます。太平洋戦争の頃、反戦・平和の主張者は投獄されたり、激戦地に送られる事になり、徹底的に弾圧されましたが、多くの「善良な日本人」は、日本民族再生の為に戦争を望んだのです。
 この戦い、一部の軍国主義者だけではありませんでした。広範な国民がそれを支持したのです。救い主イエス・キリストは「悪い考え、殺人…は心から出て来るのです。これらは、人を汚すものです」(マタイ15:19−20)と言われました。全ての人の心に戦い(当然敵を殺害する事になります)という悪い考えが存在し、それが行動に表われて来ます。その塁重が戦争です。
 竹内さんは信徒ではないでしょうが、軍部ばかりでなく普通の知識人や善良な市民が、平和ではなく戦いを望む時があったという事を、この近代の超克というシンポジウムを通して、私たちに訴えているようです。
 そういう事は平和と呼ばれる現代でも起こり得る事を、主イエスは警告しておられます。