ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

江戸幕府に対するハリスの圧力、ヒゼキヤに対するアッシリヤの圧力

 岩波のシリーズ日本近現代史の最終巻『日本の近現代史をどう見るか』の第一章「幕末期、欧米に対し日本の自立はどのように守られたか」を興味深く読みました。
 1853年アメリカのペリー艦隊が浦賀沖に侵入し、江戸幕府の日本開国史が幕を開けた事はあまりに有名です。
 ペリーは表向き日本の平和を乱さないよう、大統領から命じられていましたが、実際には幕府に対する強硬な発言と武力的威嚇があったのは事実です。
 そしてその三年後に来日したハリスについて、著者の井上勝生氏は克明に彼の言動を辿っています。
 ハリスはペリー以上に幕府に対して威嚇的で、しばしば交渉の席で激怒したと、井上氏は言っています。しかし彼の日記『日本滞在記』は日本側の嘘ばかり書き連ねています。
 しかし井上氏はそこでまてよ、それは事実なのかという事を疑い、江戸幕府のとった粘り強いしたたかな交渉を記述しています。幕府側は決して弱腰ではなかったのです。
 そして協定は結ばれこそしたものの、「議論を尽くして日本側の言い分を通しました」とあります。この視点は私にも全く無かったもので、井上氏は見事にその事を実証しています。
 その記事を読みながら聖書に出て来る威圧的な外交交渉と、それに屈しなかったイスラエルの事が頭に浮かんで来ました。
 それは列王第二18〜19とイザヤ36〜37に出て来ます。
 そこでイスラエルに対して軍事的圧力と言葉による威嚇を行ったのは、アッシリヤ王の「全権大使」ラブ・シャケです。
 彼はイスラエルの王ヒゼキヤとその民を脅すわけですが、ヒゼキヤから遣わされた宮内庁官、書記、参議らに対して、懐柔策と脅しで屈服させようとします。そして彼らとヒゼキヤを分離させ、孤立させる作戦をとろうとします。
 しかしヒゼキヤ王は賢明にも、そうした脅しに対して沈黙を守るよう命じています。
 そして彼はイスラエルの主なる神に祈りました。「私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう」(イザヤ37:20)。
 主はこの祈りに答えて下さいました。イスラエルはアッシリヤの属領とはなりませんでした。主の使いが取り囲んでいたアッシリヤの兵士たち十八万五千人を一日のうちに打ち殺しました。その為アッシリヤ王セナケリブは敗走しましたが、首都ニネベでその子によって殺されたのでした。
 イスラエルの大勝利と江戸幕府の大譲歩との違いは、ひとえにこの全能なる主が共におられるかどうかでした。