ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

戦前の日本軍の侵攻方式と聖書例

 藤原彰著『天皇の軍隊と日中戦争』を読みました。藤原氏陸軍士官学校卒業後中国に渡り、実際に戦争体験をした後復員し、東京大学文学部史学科で勉強し直して、戦前日本の軍隊のひどさを克明な調査をもって告発し、世に大きな影響を与えた人です。
 特に氏の業績として、1937年に起きた「南京事件」の調査研究が挙げられます。
 この南京事件ですが、日本軍が大虐殺を行ったのは事実としても、いまだその戦いにおいて中国側の主張する死者数と日本側の主張する死者数が一致せず、日中双方の激しい論争が続いていると思います。
 このブログではそうした数の事は述べません。広大な中国戦線で日本軍がどんな侵攻方式をとったのかという事と、それに類似する聖書箇所を取り上げ、聖書の神がイスラエルの軍隊の行った事のひどさをあらわにし、人間の持つ残虐性を明示しておられる事を伝えるのが目的です。
 氏のこの本によりますと、日中戦争において上海から南京に侵攻する際、日本軍の採択した侵攻方式が最初の方で明確に示され、以後繰り返しその事に触れています。
 それはどういう事でしょうか。欧米の方式の全く違う点は、兵士の健康と生命の維持に欠かせない補給と輸送の維持という事でした。これが全く無視されたのは、日本からの豊富な食糧の輸送と兵士たちへの補給が極めて困難だったからです。
 従って日本軍は侵攻にあたり、「補給を無視し,功を競って突進を続けた。食糧はすべて現地物資に頼ったのである。それは徴発という名の略奪であった。民衆から食糧、燃料を略奪しながら南京攻略が進展したことが、南京大虐殺の原因の一つであることは明らかである」。明確な氏の主張です。
 食糧が自前で調達出来ないから、中国の物資を略奪し、自分たちがそれで腹を満たす、しかし捕虜にした中国人たちは食べさせるものが何もない、しからば彼ら捕虜は皆殺してしまえという事になります。氏はそうした命令文書を丹念に発掘し、告発しています。なぜか。実は日本は日清・日露・第一次世界大戦では、「戦時国際法の遵守を心がけていた」のですが、日中戦争でそれが適用されなかったからなのです。日本軍は中国兵たちを「国際法上の捕虜として待遇する必要はないし、たとえ殺しても問題にならない」という認識でいました。そこで日本軍は侵攻途上でしたい放題の略奪、強姦、虐殺を行ったというわけです。
 この焼き尽くす、奪いつくす、殺しつくすという三つの作戦を中国側では、焼光、槍光、殺光と呼び、いわゆる「三光作戦」と名付けました。日本軍はそうした言葉を使いませんでした。
 実はこの敵からの食糧略奪、または現地調達と敵の虐殺という事は、聖書にも見られます。それは初代イスラエルの王サウルが行った愚かな作戦でした。
 「その日、イスラエル人はひどく苦しんだ。サウルが民に誓わせて、『夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる。』と言い、民はだれも食物を味見もしなかったからである…民は分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場でほふった。民は血のままで、それを食べた…サウルは言った。『夜、ペリシテ人を追って下り、明け方までに彼らをかすめ奪い、ひとりも残しておくまい。』すると民は言った。『あなたのお気に召すことを、何でもしてください。』…」(サムエル第一14:24,32,36)。
 まさに食糧の補給は現地からで、民は満腹すると元気が出ました。そこでサウルはペリシテ人からの略奪と大虐殺を命じたのでした。ただこの時の作戦ではそれは中止になりました。その後15章に入ると実行されてゆきます。
 このように聖書の神はご自分の民が犯した恥ずべき事も、あらわに啓示しておられます。それは今日生きる私たちへの教訓でもあります。誰もが極限状態でそうした「罪」を起こす可能性があるという事です。