ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

サソリの神経毒と聖書の毒針

 2月21日のサイエンス・デイリーは、テルアビブ大学のマイケル・グレヴィッツ教授によるサソリ毒の研究を紹介していました。
 サソリは尾部の針から毒液を対象物に注入して昆虫などを殺して食べます。しかし大型の哺乳類に注入しても致死的ではないと言われています。教授が研究したサソリは、イスラエル・イエロー・スコーピオンとありますが、これは学名ではオブト・サソリというのだそうで、最も強い毒を持ったサソリの1種です。
 その毒は主として神経に作用するものだそうです。その成分はアミノ酸が少し繋がった小型蛋白質で、ペプチド・トキシンと呼ばれる毒です。それが神経や筋肉の組織におけるナトリウム・チャンネルに作用します。
 脳科学池谷裕二氏によると、神経回路の信号は電気によっていますが、それはナトリウム・イオンが流れる事で伝達されます。このプラスイオンが神経細胞の外からナトリウム・チャンネルを通って内部に入り、活動電位を生じさせます。このチャンネルの開くところが「ドミノ倒し」のように移動する事で、活動電位が伝わって行くそうです(『記憶力を強くする』より)。
 ところがネットの情報によりますと(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1566/zuisou_17.html)、このペプチド・トキシンは、ナトリウム・チャンネルに働き、「それをふさいで、神経の内部にナトリウムが流入するのを阻害し、インパルスの発生を抑えてしまうため、神経の信号は筋肉などに伝わらず、その結果、筋肉は麻痺してしま」うという事だそうです。
 グレヴィッツ教授によると、このナトリウム・チャンネルは哺乳類で9つあるそうですが、そのうちのある亜型のものが痛みを伝えると言っています。ですからこのサソリ毒を少し変形させる事が出来れば、その痛みを仲介させるチャンネルの為に良く効くという事になります。それは副作用のない新しい鎮痛剤となる可能性があります。そしてモルヒネ中毒のような問題が発生しなくなります。
 こうした事を考えていると、聖書の毒蛇やサソリのような毒を注入して殺す類のものが引き合いに出され、死が擬人化されて使われている箇所が浮かんで来ました。
 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。死のとげは罪であり、罪の力は律法です」(コリント第一15:55−56)。
 とげはギリシャ語ケントロンで突き刺すものや針を指しています。上記のサソリの尾のようです。それと同様に、あたかも死というものはとげを持っており、それがいのちあるものを滅ぼします。同じように蛇はエバを誘惑し、あたかもその罪という毒を注入しました(実は神の命令を守らなかったエバの自己責任)。その時からアダムとエバ及びその全ての子孫である人間には罪が内在するようになりました。「罪によって死がはいり」(*エイセルホマイ=入る)。罪を注入されている人は死ぬ他ありません。「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23口語訳)。
 その罪ですが、パウロが「戒め(=律法)が来たときに、罪が生き、私は死にました」と言っているように、律法が人に罪を知らせ、その処置を誤ると、死に至らせる力を持っています。ですから「罪の力は律法です」とある通りです。
 サソリの毒は人間には必ずしも致死的ではありませんが、人間に非常な苦しみ、苦悩をもたらします。処置が悪ければ死に至ります。同じように罪という毒を注入されている人間は、死を前に苦しみ、あがき続けなければなりません。肉体的ばかりでなく、精神的な痛み苦しみです。
 しかしこの罪と死を解決された方がおられます。それが救い主イエス・キリストです。キリストが十字架で私たち全ての罪を負って死んで下さいました。私たちの身代わりとして。しかし三日目に甦り、今天におられます。この救い主を信じる者は、初めてキリストと同様、死に勝利する事が出来ます。
 *で示したギリシャ語エイセルホマイはまた「出てゆく」という意味もあります。従って主が私たちから受けて下さった罪が断罪されたので、信じる私たちの内から罪は出て行きました(実際には肉体の死まで罪は残ります)。罪がなければ死もありません。私たちは永遠のいのちを頂き、御国で世々限りなく生きる事が出来ます。