ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

生き抜く為の祝祭的自発的デモと聖書例

 『生き抜くこと』対論雨宮処凛香山リカを読みました。
 雨宮氏はいわゆるプレカリアートとして貧困者の輪の中で活動しており、香山氏は精力的に本を書いている精神科医師です。この対論では香山氏の立場が今どうなっているのか、興味を持って読み進めました。雨宮氏の本はこれまで何冊か読んでいます。
 たぶん香山氏と雨宮氏の対論はすれ違いに終わると思っていましたが、結構話し合いの中から共通点が浮き彫りになり、香山氏は若者嫌いから一歩踏み出している感じがしました。
 ともあれ最初から現代の貧困な若者たちの抱えている問題の深刻さが明確に示されています。働く意欲があるのに、仕事がなくて働けない、何度ハローワークに行っても駄目、自分は社会から見捨てられているのかと、絶望的な気持ちになって自殺も考えている彼ら。一方で幸運にも正社員になれた若者たちが、体力の極限まで働かされ、ストレスが高じて心の病にかかってしまう、そういう人が続出しているという状況。
 でも正社員と派遣労働者、フリーターなどが連帯どころか、完全に分断されている経済構造が存在します。
 ですからこれまで貧困な若者たちは声をあげる事も出来ず、自殺へ向かっていました。或いは無差別な殺傷行為へと。
 しかしこの本の題の如く、そうした若者たちに雨宮氏は「生きさせろ!」とシュプレヒコールをあげるデモへの参加を勧め、それを通して自己責任ではなく、そのようにしてしまう悪の経済体制(新経済主義)への自覚を促していると言えるでしょう。旧来型の労組ではなく、少数でも生き抜く権利意識を持った若者たちの新たな連帯です。これを雨宮氏は貧乏系メーデーと言っています。それへの参加により、少しずつ若者たちは元気を取り戻しているようです。まさにそれは祝祭ではないですか。
 聖書にもこうした祝祭的行進の例があります。
 ダビデイスラエルの精鋭たちは、これまでなおざりにされていた神の箱を、ダビデの町まで運び上ろうとします。それまで敵の迫害に悩まされて来た彼は、遂に勝利を収め、攻め取ったシオンの要害(=ダビデの町、エルサレムの事)へと進んで行きます。
 苦難が多かった分、彼の喜びもひとしおでした。イスラエルの全家と共にシュプレヒコールをあげ、楽器をかき鳴らしながら行進して行きます。力の限り踊りながら。
 「ダビデイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った」(サムエル第二6:14)。
 しかしその狂乱ぶりにダビデの妻ミカルは、心の中で彼をさげすみました。これはデモ行進を軽蔑して眺める現代の企業の偉いさんたちに適用出来るでしょう。
 一度憲法22条(居住や職業選択の自由をうたっています)に目覚めた若者たちは、これからも連帯の輪を広げ、力強く歩んで行くでしょう。是非そうあって欲しいと思います。