ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

社会的排除の問題と共通する旧約の律法制における排除

 岩田正美著『社会的排除』という本を読みました。
 この本で岩田氏は「社会的排除」という言葉が1970年代のフランスで生まれたと言っており、続けてその問題を追っています。
 その中で氏は古い福祉制度の中でそうした排除が見られる事を述べています。
 「制度それ自体が排除を生み出す側面である…一定地域への公営住宅の集中建設が、そこへの貧困な人々の集中を促してしまう…山谷などの『寄せ場』…ハンセン氏病患者の療養所、障害者の施設なども、彼らを主要社会から排除しつつ隔離する対処といえる。ここでの排除は、制度それ自体の目的である」。
 それから氏は現代日本に典型的に見られる「路上ホームレス」「ネットカフェ・ホームレス」を究極の排除として取り上げ、どうしてそうなったのかを詳しく論じています。
 それには三つの類型が見られるとして、事例をインタヴューなどを通して追求しており、興味深く読みました。でも今はそれには触れません。
 実は旧約聖書の時代、律法という制度自体が既に排除を生み出していました。
 レビ記13章には「ツァラアト」という病気の事が出て来ます。上記制度上の隔離にも出ていましたが、古い聖書ではその症状からハンセン氏病=らい病と訳されて来ました。新共同訳では「重い皮膚病」などという表現に変えられています。
 そしてこの「ツァラアト」に罹患した人々は「汚れている」事になります。そこで以下の処置が講じられました。
 「その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない」(レビ13:46)。
 つまり「ツァラアト」に冒された人はイスラエル人のテントの外に排除され、ひとりで生きなければなりませんでした。そしてそれがきよめられた時、彼らの中に復帰する事が出来ました=包摂されたのです。
 勿論この制度は新約の時代に廃されましたが、依然として「ツァラアト」に罹患していた人は、社会から排除されていました。伝染病の一種だったからでしょう。
 しかし救い主イエス・キリストは、みもとに来て伏し拝んだツァラアトの人を癒されたのでした。この方を信じる人には排除があり得ません。ですからまず信仰、そしてその後排除されていた人の必要が満たされます。