ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

外科医須磨久善と男の嫉妬

 『チーム・バチスタの栄光』を書いた作家であり、医者でもある海堂尊氏が、常に新しい術式に挑戦する心臓外科医須磨久善氏の評伝を書いています。非常に興味深く読みました。タイトルは『外科医須磨久善』だけとなっています。
 須磨氏は心臓の冠状動脈のバイパス手術に際して、従来の足の静脈を使ったのは予後が悪い為に、世界で初めて胃大網動脈というものを使って行い、一躍世界で有名になりました。その後は拡張型心筋症で肥大した心臓にメスを入れ、小さく縫縮するバチスタ手術(*バチスタというのはこの手術を初めて行ったバチスタ医師の事です)を日本に初めて導入した事でも、良く知られています。
 須磨医師は関西にあって国立の京大閥、阪大閥でほとんど独占されている中、私も尋ねた事のある私立の大阪医大を出て世界的な権威となりました。それを考える時、日夜努力を積み重ね、思わぬ発想を抱き実践する外科医には、偏差値秀才は要らないという思いが募りました。
 なぜこうした事を書くのかと言いますと、海外の公開心臓手術で日本人として始めて招聘されて、それをやり切った須磨医師に対して、一流大学出身で自尊心も人一倍高い世界の医師たちの根深い嫉妬心が渦巻くのを、海堂氏が見事に描いているからです。偏差値秀才が、抜け駆けの功名を得た自分より劣っている人に対する嫉みそねみは、公開手術という場で露骨に表れます。
 しかしバチスタ手術をさらに発展させたスマ手術により、もうそうした嫉妬心は医師たちの中から消え去ろうとしています。
 海堂氏はこう書いています。「須磨に対する社会の理解度が上昇している。その圧力に屈するかのように、頑なだったアカデミズムの世界でも、須磨に対する称賛が渦巻き始めている」と。
 そして須磨医師は他の一流外科医たちの嫉妬心には、一向に害されていません。「画期的な業績を挙げたければ鈍感になるべきです」。「私は、いちいち成功だ、失敗だということはあまり深く考えないんです」。
 こうした医師に書物で出会えたので、私としては極めてさわやかな気分になりました。ああこの本を読んでよかった!と思いました。
 翻って聖書ではどんな事が言われているのでしょうか?「嫉妬」に関するみことばは極めて多くあります。例としては以下のようなものがあります。
 「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ」(伝道者の書4:4)。
 また主なる神ご自身のねたみもあります。それは他の神々を慕って離れて行ったイスラエルに対するものです。「彼らは異なる神々で、主のねたみを引き起こし、忌みきらうべきことで、主の怒りを燃えさせた」(申命32:16)。
 しかし聖書で最大のものは、神でありながらご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた(ピリピ2:7)主イエス・キリストの行われた数々の大いなるみわざに対する、学者・パリサイ人たちといった偉い人々の嫉妬です。「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである」(マタイ27:18)。
 その為イエス・キリストは十字架にかけられました。私たちが心の中に普遍的に抱いている「嫉妬心」も全て十字架で負いながら。
 ですからイエス・キリストを信じる人は、その嫉妬心を含む全ての「罪」が赦され、須磨氏のように達観し、すがすがしい気持ちで、新しいクリスチャン生活をスタートさせる事が出来ます。