ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

田宮虎彦の足摺岬と現代

 久し振りに田宮虎彦氏の代表作『足摺岬』を読みました。中学の時、父の蔵書から見つけて以来です。
 田宮氏は昭和5年(1930年)名門神戸一中から三高へ入りましたが、翌1931年には満州事変が勃発、日本は15年戦争に突入する事になりました。世が暗い方向へと徐々に進んで行きます。田宮少年は貧しい船員の父の子として生まれ、この多感な時期には父親との葛藤がありました。母親はこの秀才の子に望みをかけていました。
 そうした期待感は今の日本では急速に消えつつあります。もはや明確な所得格差、教育格差により、貧しい家の子が名門の中学に入る事は不可能に近いからです。親も子も将来に対する希望を失っています。
 田宮氏は3年後の昭和8年、東京帝国大学の文学部に入学しました。人も羨むエリートコースではありましたが、田宮氏には勉学に打ち込む情熱はありませんでした。現在の富裕で将来に明るい希望のある東大生とは対照的だったでしょう。
 そして日本は戦争に負け、昭和24年に田宮氏はこの『足摺岬』を発表しています。
 しかしその内容は暗いです。「その時、私は自殺しようとしていた…何となく死にたかった…身体も弱かったし、金もなかった。父親とは憎みあっていた。母が死んだ直後であった。しいて理由といえば、母を追って死のうとしたのかも知れぬ…大学を出たところでむなしい人生しか残されていはしないことが、既にのぞき見ていた世の中から私にははっきりわかっているように思えていた」。そして主人公はふらふらと死に場所を求めて、足摺岬までやって来たのです。
 しかし降り続く激しい雨の中、いったん自殺決行を思い止まります。その時宿で出会った老遍路(*四国八十八箇所を巡拝している人)の「のお、おぬし、生きることは辛いものじゃが、生きておる方がなんぼよいことか」の一言は効きました。主人公は自殺を思い止まりました。
 今もその老遍路のような助け手に出会わなければ、自殺を決心した人は実行してしまうでしょう。
 足摺岬の主人公は最後に「俺に死ねといった奴は誰だ、俺は殺してやる、俺に死ね死ねといった奴は、一人のこらずぶったぎってやる」という言葉を残しています。
 何となく先頃起きた「秋葉原事件」を連想させます。理不尽な競争社会でこうした感情を抱いている若者たちは多いでしょう。皆が赤紙一枚で戦場に送られ死ぬという事を予期していた暗黒の時代とは異なりますが、今は正規の社員でさえ成績や病気その他で一気に解雇され、ホームレスになってしまう事もざらではなくなりました。彼らが私小説風の『足摺岬』の主人公と同じ空虚な気分になり、死へと急ぐのも稀ではありません。
 大胆な預言者であったエリヤでさえ、王に脅迫されて去りましたが、逃げ場を失った時、死を願いました。「彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って…」(列王第一19:4)。
 しかし彼が主なる神に祈ると、不思議にも助け手が起こされ、死ぬ事を思いとどまりました。
 あの老遍路がそうであったように、救いの手を差し伸べる人が起こされます。その人は主のみことばによって、死ぬ覚悟の人をいのちの希望へと引き戻してくれます。
 「罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい」(ヤコブ5:20)。
 その導き手こそ救い主イエス・キリストなのです。