ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

信長が欲しがり奪った白馬の駿馬と自殺した平手正秀と聖書

 若き日の織田信長にはいろいろなエピソードがありますが、津本陽氏の『下天は夢か』のはじめの方に、次のような出来事がありました。
 ある日馬場にいた信長は、幼い時の養育者平手正秀の子長政の所有する立派な白馬を見かけます。すぐ駿馬だと分かった信長は、それを曳いていた小者に誰の馬か尋ねました。信長はその馬が大いに気に入り、自分のものにしたいと思ったからです。
 するとそれは平手正秀の子長政のものだと分かりました。それで信長は彼を呼び、今後は自分の所有として自分が乗ると無茶な事を言い出しました。「この馬は向後、わしが乗るでのん。さよう心得よ」。ひどい話です。当然長政は拒否します。どうしても譲りませんでした。
 そこで信長は恥をかかされる形でその馬を下りました。主君としての威信に関わる問題だったので、信長はそれをいつまでも恨みとして心に残しました。
 その後信長は間者を遣わし、長政の動静を探らせます。少しでも不穏な事があれば、反逆の罪で死刑にし、その馬を奪い取るつもりでした。
 その馬譲り拒否の件は噂として、父正秀の耳にも入って来ました。そこで正秀は子長政の所へやって来ます。子長政に馬を主君信長に渡せという命令の為でした。しかし長政は諦めません。二人は激しい口論になりました。
 その一部始終を見ていた間者(スパイ)は、信長に知らせます。そこで信長は直ちに長政成敗の為、屋敷に乗り込んで来ます。
 しかしその時既に父正秀は切腹して子の非礼を詫びる覚悟でいました。それは壮絶な切腹でした。虫の息の中から正秀は信長に、「若さま、なにとぞ長政にお許しを」と請いました。世話になった信長は正秀の願いを聞きいれ、長政は死刑を免れました。
 これと同じような話は聖書に載っています。列王第一21です。サマリヤの王アハブは、ナボテという人の所有する立派なぶどう畑を欲しがりました。ナボテは拒否します。恥をかかされたアハブは怒って家に戻ります。すると妻のイゼベルが理由を聞いて、悪知恵を働かせました。ナボテがアハブを呪ったという偽りの証を「よこしまな者たち」にさせました。
 この証言によりナボテは当時のイスラエルの死刑方法「石打ちの刑」で死にました。
 アハブはすぐにナボテのぶどう畑を取りに行こうとしますが、それに待ったをかけられたのが、主なる神でした。アハブはそれにより貪りと殺人の罪で死ぬべきところを悔い改めて、生き延びる事が出来たのでした。
 有名な十戒の第十の戒めは「…すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない」(出エジプト20:17)です。
 それは遠い旧約の話で終わりでしょうか?
 否、今日本のいたるところでこのような事が、その道のトップにより平然と行われています。
 「ああ。自分の家のために不正な利得をむさぼり、わざわいの手からのがれるために、自分の巣を高い所に据える者」(ハバクク2:9)。
 所得格差と貧困が厳しい折、私たちは貪りを止め、持てるものをもって足れりとし、むしろ他人と分かち合う気持ちを、聖書を通して培うべきではありませんか。