ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

畑村洋太郎編『失敗に学ぶものづくり』と聖書例

 前にもこのブログで触れた事がありますが、畑村洋太郎教授は2002年に特定非営利法人「失敗学会」を立ち上げた失敗学の権威者で、確実にその後継者が育っているようです。
 本書は2001年に名古屋工業大学で行われた「ものづくりにおける失敗と技術の伝承」というテーマでの講演(複数の人々による)がもとになっています。各執筆者の論文のうしろに畑村氏の貴重な補足が載っていて、いろいろ読んでなるほどと考えさせられました。
 その最初の論文を書いた小林英男教授は極めて大切な事を述べています。「どんなものにも必ず寿命はあり、形あるものは必ず壊れます。それは自然界の鉄則で、私たちがつくるものも必ず壊れます…このように『壊れる』という前提に立たなければ、破壊事故というものは決してなくすことができないと思います」。
 この自然界の鉄則がいわゆる熱力学の第二法則です。人間が堕落する以前は生じなかった事ですが、それ以後万物の腐敗、崩壊が世に導入されました。万物は自然に放置しておくと必ずそうなります。工学などの設計関係者などはこの事を銘記しながらものづくりを進めて行くわけですが、驚いた事に「壊れてはいけない」という考え方が今も根強く存在しているそうです。特に原子力関係ではそうで、「絶対壊れない材料」の開発に躍起になっています。考えられない大事故に繋がるからです。しかしその絶対壊れない筈の材料に「応力腐食割れ」という現象が必ず生じる事が、「時間」と共に明らかになり、原子力プラントは過去にそうした現象を「山ほど起こしている」そうです。ぞっとしました。スリーマイルアイランドやチェルノブイリを思い出しました。だからこそその失敗から学んで、次の破壊を予測し対策を立てておく事が大切です。
 東海村や大洗などの原子力研究所で働いている優秀な技術者は、あまりこうした事を真剣に考えないようで、随分ずさんな廃棄物などの処理を行っています。その近くに住んでいた者としての実感です。
 そして東工大機械工学を専攻した守友氏は、そうした優秀なタイプの人がいざ失敗をすると、その瞬間から自己正当化が始まると言っています。機械の劣化などの自然現象や部下の不注意など、次から次へと責任を転嫁してしまうのです。
 畑村先生の注では、失敗の公表に際して、「自分がそれにどう抗弁するかを検討します」。ところがそれが時間経過と共に、「反省、後悔、言い訳、正当化などの形で現れ」、遂には「隠しておこう…」などという気になってゆくそうです。
 それこそまさに最初の人アダムとエバの間で起きた事です。
 主のご命令を破った二人は主の御声を聞いて、責任回避の為に園の木の間に隠れました。全能者の御前に隠し通せると愚かにも考えました。しかしそれは通用せず、二人は正直なところを白状して行きますが、それらは全て自己正当化で、責任転嫁の「連鎖」でした。
 「人は言った。『あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。』そこで、神である主は女に仰せられた。『あなたは、いったいなんということをしたのか。』女は答えた。『蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。』」(創世3:12−13)。 
 ここから万物の崩壊が始まったのは既に述べました。工学の優秀な設計者たちは、虚心にこの聖書の教訓を学ぶべきではないでしょうか。そうでないとまたいつか大惨事は生じます。