ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

1980年セント・へレンズ山の大爆発から30年

 19世紀はじめまで地質学はノアの洪水の激変説が一般的な考え方でした。ところが英国の地質学者ジェイムス・ハットンが「現在は過去を解く鍵である」という有名な言葉を記し、斉一説というものが徐々に広がりました。それは現在自然界で起きている地質現象は、観測不可能な遠い過去の出来事を全て説明出来るというものです。そしてそれを1830年に確立したのが、『地質学原理』を著したやはり英国のチャールズ・ライエルでした。彼らは進化論を押し進めたチャールズ・ダーウインに大きな影響を与えたのでした。そして激変説は完全に否定されるようになりました。
 それから約150年経て、1980年、米国ワシントン州にある活火山セント・へレンズ山が大噴火を起こしました。これは激変的な地質上の出来事で、多くの研究者たちに観察の機会を与えました。
 この大噴火で北側斜面は崩壊し、流出した火山からの泥流が分厚い灰の層を形成し、トートル川を埋め尽くし、それより先にあるスピリット湖へなだれ込みました。しかし出来た新たな水路がこの火山灰台地を瞬く間に侵食し、蛇行する河川となって、あたかもグランド・キャニオンの縮小版とも言える光景を作り出しました。

http://www.azumanointernational.com/seattle/f_081031_01.htmlの図を借りて編集しました。
 これは現在の地質学の大半を占めている斉一説を否定し、再度激変作用の凄さを学者たちに見せ付けた点で、ノアの大洪水による作用を傍証する重要な地質現象となりました。しかし地質学者たちは、以下に述べる創造論者たちの観察をあえて公にせず、自説に都合の悪いところは「隠蔽する」という体質を保持しているように見えます。ネットで見る限り、膨大な噴火物や被害の大きさ等は記述されていますが、地質の詳しいところはあえて触れていないようです。
 AiG創造論者アンドリュー・スネリング氏によるICRのスティーヴン・オースティン博士の4つの視点を要約してみます。
http://www.answersingenesis.org/articles/2010/05/18/thirtieth-anniversary-of-geologic-catastrophe
1.堆積層の急激な形成。図の下半分を見ますと分かりますが、広大な火山灰堆積層の台地が一気に形成されました。素人が見れば、この地層形成には数百万年以上かかったと思うでしょう。しかしこれは激変作用で数日内に形成されました。最大120メートルの高さです!
2.発生した岩屑流が急激にこの台地を侵食下刻し、山の北側に2つの峡谷を作り出しました。さながらグランド・キャニオンの縮小版!!
3.急激な直立するモミなどの木々による「化石の森」。山の崩壊で流出した木々がスピリット湖に押し込まれました。勿論根は破壊され、丸太の状態でしたが、その根の近くは分厚いので、湖の中で直立しました。あるサイトでは湖に潜った人の観察によると、「湖底で亡霊のように立ち並ぶ枯れたモミの木々」と表現されています。アリゾナ州の化石の森国立公園にはこうした直立した巨大な木々の化石が見られますが、地質学者たちはかつてそこに森林が存在したと解釈しています。しかしセント・へレンズ山から運搬された木々が湖の底に浮かんでいた事を考えると、激変による湖への木々の運搬作用という事を再考べきでしょう。
4.泥炭層の急激な形成。スピリット湖底では削られた樹皮や根と火山性堆積物との混合したものが泥炭層を形成していました。この混合は稀な出来事で、激変による形成を強く印象付けています。
 結局現在見られる地質現象が、観測不可能な遠い過去の斉一でない、激変作用を相当に説明出来るという事を、セント・ヘレンズ山の大噴火は私たちに示してくれました。ノアの洪水の実在性を支援する地質作用でした。ライエルの「地質学原理」は変えられるでしょうか?