ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

堤未果の米国レポートとキリスト教

 ジャーナリストの堤未果さんは岩波新書の『ルポ貧困大国アメリカ』『同そのⅡ』で、衝撃的なアメリカの現在の実態を私たちに知らせてくれました。その語り口がうまい為に、一気に読む事が出来ます。
 今回図書館で借りたのは、それらの書物の前駆的なルポとも言うべき『アメリカ弱者革命』でした。
 その時はまだ大統領選の戦いがブッシュとケリーの間で行われていました。その時選挙の不正が声高に叫ばれていたのを、日本の私たちも覚えています。
 それに憂いてガンジーに倣いハンストを行いながら米国中(といっても狭い範囲ですが)を回り、不正を訴えていた男と堤さんは車で同行し、いろいろルポを書いています。その男とはジョン・B・ケニー、ハーヴァード大学で運動で鍛え優秀な成績で卒業し、就職してから最悪な自国の医療システムに懐疑心を抱き、会社を辞めて日本にも来た事のある人です。彼はこの米国の法外な医療費で、国民の5人に1人が深刻な影響を受け、破産してホームレスにもなっている状況と戦うべく、一人で立ち上がったのでした。
 その彼を取材しながら、イラク戦争に突入したブッシュとブッシュを支持する人々について、ジョンに同調する堤さんはこう書いています。
 「聖書の教えに従って保守的なアメリカの伝統を取り戻そうというメッセージを掲げたブッシュが、この国を正しい方向に導くのだと熱狂的に信じている人々がいる。ああいった超保守的なクリスチャンは「福音派」と呼ばれ…中でもとりわけファナティックで原理主義だと言われているのは『ボーン・アゲイン派』と呼ばれる、途中から急に宗教に目覚めキリスト教によって自らが生まれ変わったと信じている人々だ」。
 そして「神の名のもとに『正しい戦争』もありえる、という聖戦論を唱えるクリスチャンも少なくないのだ」と書いています。
 私の所属する教会も米国から独立したわけですし、特に保守的なテキサスの教会でしたから、多分にその影響を受けて来ました。しかしそうした中で、このイラク戦争でとったクリスチャンたちの態度には、大いに疑問が湧いて来た次第です。
 彼ら米国人たちは戦争と言いますと旧約の聖戦を連想し、本来新約のキリストが国と宗教の分離を説き、平和を作り出す者となりなさいと教えておられたのに、国を支持し国と結び付いて戦争を行ったわけですから、その教えから大いに乖離しているなと思い始めました。勿論ローマ13だけを取ればそうした国の指導者への服従も考えられますが、聖書は一つの箇所だけでなく全体からバランスを保って解釈しなければならないものです。
 宗教改革の時、英国から逃れて新世界である米国に来たクリスチャンたちは、西部開拓時代土着民であったインディアンを虐殺して来ました。ローマ1:14に「邦訳未開人=ギリシャ語バルバロス」という言葉が出て来ます。欽定訳でも「barbarian=未開人、野蛮人、教養のない人」と訳されています。でもそのバルバロスというギリシャ語は、本来当時のギリシャ世界にあって、異国語を話す人々の事で、とがめるような意味合いはないという辞書の定義があります。
 しかしこの聖書に5箇所しか出て来ない言葉が米国では大きな意味を持っていて(均衡感覚の欠如!)、カトリックの宣教師たちが中国や日本に布教に来た時、ペリーやハリスなどが未開人と対応するような傲慢な態度で政府要人たちと接したのではないかという仮説を私は立てています。
 それから約150年経て、米国は再び正義(=ジャスティス)を掲げ、イラク戦争に突入したわけですが、およそそれは正義とかけ離れたものでした。兵士たちのリクルートの仕方や人々を殺す事に無神経にさせる訓練、PTSDになって帰っても面倒を見ない事等々。
 ですから堤さんと一緒に動いたジョンは、ブッシュなどが掲げるまやかしの「正義」ではなく、聖書本来の意味でもある「正義」の為に行動したのでした。
 堤さんは最後にこの「あきらめが悪く、何よりも正義の価値を信じている」ジョンを尊敬しつつ別れた事でしょう。