ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

禁煙効果の証と聖書

 5月29日の朝日新聞「男のひといき」というコラムでは、茨城県の62歳男性が禁煙してから2年半後を振り返り、「煙の呪縛」からの解放を証しています。
 茨城にいた頃、特に農家の人々がよくタバコを吸っているなと感じていました。それらの人々は当然の事のように考えており、マナーも最低だと怒りを感じる時が多々ありました。実際それにより冬場の雑草枯れの時、火事騒ぎが起きています。また喫煙で手遅れになり、末期肺がんで亡くなる直前のお年寄りが、施設で遠くを眺めながらポツンと「タバコなんて吸うものでねえな」と言ったのをよく覚えています。
 今回のつくば市の男性も59歳半で思い切って喫煙に踏み切ったわけですが、始めたのが20歳、だいたいはハイライトを日に3箱は吸っていたという事です。相当なヘビースモーカーでした。
 この男性の禁煙の動機が、そうした場所の急激な増加の為だったというのは、禁煙活動家にとっても貴重な証となるでしょう。
 そしてざっと計算したら、約40年近くで吸った総量87万本、購入した値段が総額7百万円という事ですから、すさまじい値でこちらも本当にびっくりしました。
 その後の解放感がさわやかです。「お茶やコーヒー、食事、お酒も格段においしさを増した」そうです。一般にタバコを止めると太るというのは嘘ではありません。
 しかもその臭いに極めて敏感になったというのも良い事です。「周りに及ぼしてきた迷惑の数々。被害者の立場になって痛切に実感する」。
 そのように喫煙、そしてそれによる健康の害は、単なる「自己責任」に留まりません。その副流煙は吸っている人よりも、そばにいる人々に甚大な被害を及ぼします。主流煙より数倍も毒性が強いからです。
 喫煙者はそういう事を気にかけない、そして道端にポイ捨てをする、極めて悪質な生活慣習です。
 聖書にもそうしたタイプの人々への警告や勧めに満ちています。
 「だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい」(コリント第一10:24)。
 「人は自分の愚かさによってその生活を滅ぼす。しかもその心は主に向かって激しく怒る」(箴言19:3)。
 「愚かな者の友となる者は害を受ける」(箴言13:20)。
 「よこしまな証人は、さばきをあざけり、悪者の口は、わざわいをのみこむ」(箴言19:28)等々。
 繰り返します。喫煙する人々はひとりよがりであり、愚か者、よこしまな者です。
 タバコを止めて初めて、他者への思いやりが欠けていた事を自覚し、自分以上に他者の幸せを願うようになります。