ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

夫以外の精子で人工授精は反倫理的、反聖書的

 5月22日の朝日新聞では、夫以外の精子で人工授精(AID)を行った親とそれによって生まれた子の様々な悩みを取り上げていました。
 そもそもそうした人工授精が60年以上の歴史を持っている事を知りませんでした。
 しかしそれが正常な結婚夫婦と子の関係でないのは明らかです。しかし3年前の調査では15の医療機関でのべ1113人が人工授精を受け、98人が生まれたそうです。実施数自体は年々減少している傾向にあります。
 普通でないあり方なので、これまで当事者たちの思いが公にされる機会はほとんどなかったようです。そこで「第三者の関わる生殖技術について考える会」が設立され、彼らの共通の思いをこれから共有しながら考えてゆこうという事らしいです。
 新聞記事では子と親のそれぞれの悩みの例を載せています。
 まず子の方ですが、東京都内の30歳の女性です。父親の精子ではないので、当然遺伝的に共有する部分がなく、小さい頃から何となく違和感を覚えていたそうです。そして事実を知った時、ひどく落ち込んで家出をし、通っていた大学院も辞めたそうです。そして彼女はこう言っています。「私にはAIDが不妊を隠すための技術にみえる。親子は関係性で出来るものなのに、見せかけ上の血縁家族であることを重視するあまり、一番大切な親子の信頼関係が損なわれてしまう」。
 全くその通りで至極全うな考え方です。論理明晰、人工授精の問題点を正確に把握しています。長らく不信を抱いていた見せ掛けの父親は亡くなりました。その後母親とは関係修復に努めているそうです。そして彼女は精子提供者である遺伝上の父親とは出来たら会いたいとも思っているそうです。おそらく彼女は亡くなった見かけの父親の隠蔽には、まだ許せない気持ちはあるでしょう。でも制止提供者が名乗り出たら、どんな会話となるのでしょうか。
 一方見かけの父親の例です。当初AIDで生まれた子どもには告知せず、嘘をつき通すつもりだったそうです。でもいつかは本当の事が分かってしまう。どうしたらよいか。相当悩んだ末に、AIDで生まれた女性の話を聞いてから、早い段階で告知するほうが良いと決心し、ほっとしたそうです。でもその告知ですが、1歳の子が理解出来る年齢になった頃、「お父さんを助けてくれる人がいて、生まれたんだよ。でもお父さんは、おまえのことを本当に待っていたんだよ」という気持ちで話すつもりでいるそうです。
 でもその父親の考え方は倫理的に正当化されるでしょうか。朝日はこの見せ掛けの父親について何もコメントしていませんが、倫理的基準のない日本では、それが普通のルポの形なのでしょう。
 そもそも父親に原因のある不妊症ですが、子が授からない事について聖書はどう言っているのでしょうか。
 実は聖書にも不妊が原因のトラブルの例は意外に多く載っています。
 創世記のはじめに「男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」(創世2:24)とあって、一夫一妻の制度下でふたりが結び合い、子が生まれるというのが主のみこころだったわけですが、人間の堕落以後それが崩れました。
 聖書の歴史の中で登場するのは、男性ではなく女性の不妊症が全てでした。しかし主は何らかの意図を持っておられたと思われるのに、人間の側が勝手な行動に出てトラブルを生じさせているのです。そして聖書の行間を読めば、男性の不妊症だってあったかも知れません。
 アブラムの妻サライヤコブの妻ラケル不妊の妻エリサベツの夫ザカリヤ…。
 それゆえいつしか「生めよ。ふえよ」との主のご命令に応えられなかった不妊の女性たちはさげすまれるようになりました。神からの呪いと刑罰などと見なされていました。
 その一方で不妊をかこちながらも、主に祈り続け、主から賜物として子を授かった女性もいました。
 以下はたぶんに預言的な言い回しで解釈も多様ですが、主から出たみことばです。
 「『子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。』と主は仰せられる」(イザヤ54:1)。
 結論としては夫以外の男性からの精子提供は罪です。子を不幸にするだけです。たとえ夫婦に子が生まれなくても、それには私たちの計り知れない神の目的があるはずです。もしかしたら、養子縁組という形での祝福だってあるはずです。