ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

洞穴壁画と聖書の偶像

 私たち創造論信奉者たちは、ネアンデルタール人クロマニョン人、現生人類などと分類されている人々が、数万年前に生きていたとは見なさず、ノアの洪水以後、生き残ったたったの8人、つまりノア、セム、ハム、ヤペテとそれぞれの妻たちの子孫であると考えています。全て交配可能で、現代人の直接の祖先だったと考えています。「これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた…以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった」(創世10)。
 特にノアの洪水後のいわゆるバベルの塔以後、言語の異なる人々は、「地の全面に散らされた」(創世11:8)とあるように、全世界に移動して行ったのです。洪水以後、世界でただ一つの大氷河期が訪れ、北東の方(シベリアなど)に散っていった人々の中には、箱舟から出て移動したマンモスとも出会い、その狩猟に携わった人々もいたでしょう。この大氷河はヨーロッパのかなり南の方までも広がったと思われますから、特に洞穴壁画で知られる「クロマニョン人」も、マンモスと思われる動物たちを盛んに壁画に残しました。それらの中には世界遺産となっているものもあります。

 彼らがどうしてマンモス、となかい、野牛など多様な動物たちを描いたのか、その理由は定かではありません。立派な芸術家たちでしたが、絵画に宗教的な意味合いはあまり感じられません。上記の箱舟に乗っていた8人は主なる神への信仰者でしたが、全地に散って行った人々の中にも信仰を受け継いだ人はいたでしょう。彼らは「目に見えない神」を壁画に描く事は出来ませんでした。しかしかなりの人々が、バベルの塔事件でも分かりますが、もう主に背馳した生活を送っていましたから、もしかしたらその類の人々が、そうした生き物を「偶像」として洞穴壁画に残したのかも知れません。
 以後イスラエルの人々は、何度も何度も主に背を向け、偶像礼拝に陥って行きました。その為に結局国は滅びる事になりました。北イスラエル王国はアッシリヤ帝国により、南ユダ王国はバビロン帝国によってでした。
 このバビロン捕囚の前、預言者エゼキエルは、イスラエルの家の偶像礼拝の罪を指摘していましたが、その書の中にイスラエルの家の人々が残した「壁画」の事も出て来ます。
 「それから、この方は私を庭の入口に連れて行った。私が見ると、壁に一つの穴があった。この方は私に仰せられた。『人の子よ。さあ、壁に穴をあけて通り抜けよ。』私が壁に穴をあけて通り抜けると、一つの入口があった。この方は私に仰せられた。『はいって行き、彼らがそこでしている悪い忌みきらうべきことを見よ。』私がはいって行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた」(エゼキエル8:7−10)。
 この場合イスラエルの家の者が行なった事は「偶像絵画」でしたが、その系譜は上記の「洞穴壁画」まで辿れるのかも知れません。
 そうした類の事は今の日本人でも普通に行なっています。私たちのほとんどが目に見えない神を知らず畏れず過ごしているからです。ですから何でも「アイドル」にしてしまうのです。永遠に生きておられる神は、私たちに聖書を通しその罪と刑罰を警告しておられます。