ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

エジプト王朝はいつから始まったか

 創造研究所(ICR)の7月19日のサイトには、エリザベス・ミッチェル氏による「ピラミッドの年代」という題の論文が載っていました。
 その第一王朝から第二十六王朝までの年代編成は、特にその第一王朝の年代の不確かさでずれが生じます。
 ネットで調べて見ますと、エジプトの古代史家マネト(紀元前3世紀)が『エジプト史』を書いて、初めてエジプト王朝の年代編成を試みました。
 それによりますと、1初期王朝時代(第1〜第2王朝)BC3100〜BC2700年となっています。この第一王朝はメネスという王がエジプト全土を征服して最初に打ち立てた事になっています。そして第三王朝のBC2650年頃、初めてピラミッドが建てられたと言われています。ちなみにスフフインクスはBC2500頃建造されたとあります。後の歴史家によると、エジプトはBC2188年(今から4000年以上前)に建設されたとの主張もされています。
 一方聖書の歴史を辿ると、創世10:6に「ハムの子孫はクシュ(*現在のエチオピア)、ミツライム…」とあって、このミツライムがエジプト人の始祖です。ギリシャ語ではアイグプトスで、これが転じてエジプトとなっています。セム・ハム・ヤペテはノアの洪水から生き延びた人々ですから、当然ハムの子孫のエジプト人はノアの洪水(紀元前2500年頃)以後でなければなりません。歴史家マトネの編年は紀元前3100年から紀元前2500年以降にずらさなければなりません。
 エリザベス・ミッチェル女史は、考古学者デイヴィッド・ダウンの改定年代をそのサイトに載せています。2008年2月の論文です。それをハテヘイが一部日本語訳にして示して見ました。

 ミッチェル女史はまた、世の歴史学者の間でもマネトの著した編年が、周辺諸国の歴史とも合わない事を指摘しています。例えばその年代構成では、アッシリアの二人の王が同時にヒッタイトと戦っている事になり矛盾するそうです。
 それを考えた時、聖書に記されている歴史こそ真であるとするべきではありませんか。
 「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。』」(使徒5:29)。