ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

川本三郎氏の『いまも、君を想う』を読む

 図書館で川本三郎氏の評判の本『いまも、君を想う』を借りて読みました。この「はてな」でも多くの人が読後感を寄せているようです。
 私は2〜3時間で150ページほどのこの本を一気に読んでしまいました。
 なぜでしょうか?川本氏は1944年生まれ、私は1946年で2年遅れに過ぎません。そしてこの本の中に出て来るいろいろな地名が、私の住んでいた所、遊びに行ったところと重なっているからです。それで当時を思い出しながら、懐かしい気持ちで読み進めたからです。
 まず川本氏の事ですが、東大闘争が激しくなる頃、麻布高校から法学部に入りました。そして卒業後朝日新聞社に入り、週間朝日ジャーナルの記者としてルポを書いています。当時の朝日ジャーナルは毎週学園闘争の事が載っていましたが、川本氏はそうしたところをつぶさに見て回ったのでしょう。4年になってその近くの大学で闘争を始めた私は、朝日ジャーナルのファンで、そに投稿し掲載された記憶があります(アーカイブとして残っているのかどうか)。 
 そして川本氏と2年前に食道癌で亡くなられた奥様恵子さんは、川本氏が恵子さんの通っていた武蔵野美大にルポに出かけた時出会いました。それから二人の交際が続きます。川本氏は阿佐ヶ谷、恵子さんは吉祥寺のアパート暮らしでした。この吉祥寺、西荻、阿佐ヶ谷といった中央線沿線は、私が高校時代それらの駅付近にある古本屋に通った事からも、思い出深い所です。
 その最中川本氏は取材でのミスで警察に逮捕され、朝日新聞社を退職せざるを得なくなりました。川本氏は結婚を断念しようとしますが、奥様の決意は堅く、そのご両親も理解があったようです。幸いな事でした。なにしろ当時逮捕されると、その後完全に「転向」しない限り、将来がなかったからです。
 それから二人は結婚し、三鷹市下連雀のマンションに住みますが、そこは私もよく通ったところです。なぜなら私は二人が結婚した後良く訪れた深大寺神代植物公園の近くに住んでいたからです。井の頭公園は私がまだ深大寺に引っ越す前、西荻で生まれ育った時、父母によく連れて行ってもらいました。
 ですからなるほどなるほどと思いながら、読み通す事が出来ました。中央線北側の善福寺公園の事も出て来ます。まだ整備されていなかった頃、父と共に釣りをして楽しんだ経験があります。
 その仲の良い二人を引き裂いたのが、恵子さんの食道癌だったわけです。そこから恵子さんの死、その後の2年間を、川本氏は淡々と綴っていますが、「家内に申し訳ない」といった表現が随所に出て来ます。本当に二人は愛し合っていました。感動させられます。
 私が初めての手術の為、ストレッチャーでオペ室に入る前、母は泣いていましたが、川本氏も恵子さんをオペ室に送った後、「突然、身体のなかから突き上げるように涙が出た」と書いています。すごくよく分かります。また最期が近づいたある日曜日、病院から川本氏の押す車椅子で外に出た恵子さんは、お茶の水付近の木々の緑や、ずっと利用していた中央線の電車を黙って見つめた後、「突然、静かに泣いた」とあります。死を悟っての事でしょう。川本氏はただ黙って恵子さんを抱きしめるしかありませんでした。私も涙が出ました。
 川本氏の長姉が亡くなった時、カトリック教会で葬儀が行われましたが、その1年前恵子さんも良くキリスト教の事を訊いていたようです。でももう時がありませんでした。川本氏も賛美歌を歌い、後でCDも購入していますが、氏自身は「信者ではない」と言っています。
 でもまだ時間がありますし、恵子さん自身キリスト教を拒否したかどうか私たちにはわからないのです。是非信仰をと願っています。
 愛する弟子ラザロの死で皆がさめざめと泣いているのをご覧になった救い主イエス・キリストも、「心の動揺を感じて」「涙を流された」のです(ヨハネ11:33,35)。その残酷な死を滅ぼす為にキリストは世に来られました。そして「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)と断言されました。
 川本氏と恵子さんの涙に私も「心の動揺を感じ」ました。ですから天国での再会を約束しておられるこの救い主を切に宣べ伝えているのです。