ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

イスラム教聖典コーランを焼こうとした教会と聖書

 今から9年前の9月11日、米国では初の同時多発テロが起き、その首謀者がイスラム教過激派だった事から、この9月11日に米国フロリダ州のある小さな教会が「コーラン」を焼却しようとネットで呼びかけた為、世界的な騒ぎとなりました。
 その牧師テリー・ジョーンズは、米国のホテルのマネージャーを務めた後、ドイツに渡り、福音派の教会で学んで牧師になったとされています。
 本当でしょうか?福音派といっても様々です。福音の一般的定義はコリント第一15:1−4にあって、「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう…キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと」とあります。この死に勝利し、信じる者を救い、永遠のいのちを賦与される救い主イエス・キリストを宣べ伝えるのが、福音派教会の第一の目的です。
 しかしジョーンズ牧師はドイツで牧会していた時、しばしば問題を引き起こしていたと思われます。特に彼はその妻と共に「神に指名された者」(ヤフー・ニュースより)と、自分が何か神からの特別な預言の召しを受けたかのように発言したそうですが、そういう事は旧約と新約の初期で終わっており、現在神からの特別な指名など「すたれます」(コリント第一13:8)。そういう人々に限り、悪霊論を振りかざし、イスラム教などの糾弾に走るのです。また彼はドイツで教会のお金を不正に使用し、教会を追われたとあります。まるで財布を預かりイエス・キリストを裏切ったユダのようです。またイスラム教やコーランの事など知らないと言っていますが、それはノアの洪水で生き残ったノアの3人の息子たちのうちセムの子孫から生じたもので、その中にあるアラー神の預言者としてアダム、ノア、アブラハムモーセといった旧約の人々や、イエス・キリストもアラー神の預言者として登場します。そうした知識は神学を学ぶ時の基本です。
 以上の事を考えながら、ジョーンズ牧師は実際には聖書の事も良く知らない「偽牧師」の類に近いと思われます。聖書は非常に分厚い本で、その内容は多岐に渡り、時には互いに矛盾しているのではないかと思われる箇所も見つかります。しかしある程度全体を把握していれば、その矛盾は自分の読み違いから来ていると分かるはずです。そこまで行けなくても、絶妙なバランス感覚が牧師には必要とされます。
 特に今回のコーラン焚書坑儒」事件、ジョーンズ牧師の場合未遂に終わりましたが、その宣言以来米国の各ニュースサイトなどでは、「米国が寛容を失った」といった論調が目立ちました。この寛容と言う神(聖霊)から賦与される「実」は、特にキリストに倣う者として大切です。
 「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い」(エペソ4:2)。
 グラウンド・ゼロ地点(9月11日のテロで崩壊したビルのあった地点)近くでのイスラム教寺院モスクの建設問題など、米国民も冷静でいられないかも知れませんし、聖典コーランを焼かれて平静でいられないイスラム教徒の人々もいるかも知れませんが、両者共、もっと忍耐と寛容、そして愛が必要ではありませんか。