ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ニ神能基著『暴力は親に向かう』を読む

 情熱的な東大の教育学者本田由紀教授の推薦した上記の本を読んで見ました。今から3年前に出版されたものですが、内容は全然色あせていません。
 なぜなら反抗期の子どもが親に逆らう時が出て来るのは、聖書的に見れば普遍的現象だからです。
 この本の特徴は特に少子化社会にあって、親と子だけの閉じた空間で起きた悲惨な事件を追いながら、具体的な解決策を述べている事です。それは昔から見れば当たり前の事だったのかも知れませんが、今そうでないだけに極めて難しく、思い切った選択となるでしょう。
 まず覚えておきたいのは、この本で述べられている暴力を揮う子どもが、そうならざるを得ない環境に置かれていた為の特殊な事例ではないという事です。
 ごく普通の真面目でおとなしく、学校での成績もむしろトップクラスといった子どもたちです。成績は別にしても特別性格に問題のある子どもたちではありません。その意味ではいかなる家庭でも起こり得る事です。
 二神氏はこう言っています。「真面目な両親の、真面目な子供が暴力をふるっている。だけど外からは、平和で何の問題もない家族にしか見えない。それが、いまの家庭内暴力の実態なのです」と。
 この外から見えない家の内部で子どもが親に考えられないほどの暴力を揮っているわけですが、その子どもが家を出たら同じような暴力を揮うのかといいますと、とんでもありません。皆人前では良い子ばかりです。ですから近所の親はその暴力のある家庭など想像も出来ないという事になるのです。
 でも現実は実に深刻で外部に助けを求めない限り、閉じた家庭での暴力はますますエスカレートし、しかも長期化してしまいます。もう駄目だと思った時は既に遅く、親が子を、子が親を殺すという事態にまで至ってしまいます。
 なぜそうなってしまうのか。それをニ神氏は、親子がべったりでまるで「友達親子」のようであり、親が「子供に反抗期を与えないこと」に遠因があると言っています。だから一度問題が生じるとそれを解決する能力が親になくなってしまうのです。
 では子供に反抗期を与えないのはなぜでしょうか。それは現代の日本、いや世界を色濃く覆っている激しい競争社会の「勝ち組教育」を親が子に強いているからです。親子はDNAで繋がっていても、所詮親は親、子は子です。親の価値観を子供に強いる権利などありません。子は遊びながら、いろいろないたずらをしながら、自分が何に向いているのか、次第に体得してゆくでしょう。しかしそれが親の意向と違うと(特に親が高学歴であると始末が悪いです)、子供の望みが絶たれて当然親に刃向かってゆくでしょう。文字通り刃物を持って。
 二神氏はそうした事例を丁寧に取り上げながら、最終的な解決法を示しています。それは「最大にして最初の一歩は、第三者に助けを求めること」です。とにかく閉じた家庭の密室を解放し、第三者と相談しながら、親と子を引き離す事です。昔からの諺「かわいい子には旅をさせよ」です。
 これ以外に解決はなく、親も子も逡巡してまた家庭内に戻るなら、本当に悲劇的な殺人事件がどちらの側からも生じるでしょう。
 イエスのみことばを銘記して下さい。
 「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人」(マルコ7:20−21)。どんな人でも心のうちにそうした恐ろしい考え=罪を孕んでいます。例外はありません。