ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

イエスの伝道されたガリラヤで、ギリシャ時代運命の女神のフレスコ画が発掘

 9月17日のサイエンス・デイリーサイトで、運命の女神ティケーのフレスコ(*新鮮なという意味だそうです)壁画が発掘された事が報じられていました。死海の北にあるガリラヤ湖東岸の遺跡です。その遺跡では以前にギリシャ時代のぶどう酒の神ディオニュソスの熱狂的な女信者の肖像らしきものも発見されていたそうです。遺跡名はたぶんスシッタと読まれると思います。

 旧約聖書が膜を閉じたのは、紀元前430年頃で、ガリラヤ地方は当時ペルシャ帝国の下にありました。その後アレクサンダー大王が紀元前331年にギリシャ帝国を確立し、ガリラヤ地方もその支配下に置かれました。そしてギリシャ宗教として多くの神々が登場しました。隆盛を極めたギリシャですが、その都は大王の死後4つに分かれ、シリヤはセレウコス、エジプトはプトレマイオスが支配しました。ローマ帝国の時代の紀元前63年にこの地方はその属領となりました。イエスがお生まれになったのは、だいたい紀元前4年頃と推定されます。このガリラヤ地方が初期伝道の拠点でした。
 この旧約から空白の400年の期間を経て新約に至っても、ユダヤ教キリスト教一神教は、曲りなりにも維持されて来ました。
 今度の発掘で異教の神々の像や壁画が見つかったスシッタ遺跡は、紀元前2世紀頃セレウコス朝の支配者により、ガリラヤを見渡す山頂に建設されたそうですが、ローマ時代からビザンツ帝国東ローマ帝国)を生き延びて存続し、8世紀半ばに大地震で破壊されたそうです。
 いわゆるビザンチン文化は、ギリシャ、ローマと東方の文化が混じり合った文化洋式となっています。
 フレスコ壁画が見つかった時期は、このビザンチン文化の初期(3〜4世紀)だそうです。その運命の女神は頭に冠を被り、豊かな茶髪がそこから垂れています。
 その時代にはキリスト教は広く行き渡っており、こうした神々の偶像礼拝は否定され絶やされていた筈なのになお根強く残っていたとは、と発掘を指揮したハイファ大学考古学の研究者たちは驚きを隠せないようです。「運命の女神」とか「ぶどう酒の神」とかは、彼らユダヤ人の研究者たちには「過激なもの」と映っているようです。
 聖書の主なる神は、ユダヤの人々がご自分に背いて異教の神々に移って行く事について、何度も警告しておられます。
 「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない」(出エジプト20:4)。いわゆる十戒の一つです。でも神は人の自由意志をあえて阻止されません。
 「さあ、イスラエルの家よ。神である主はこう仰せられる。おのおの自分の偶像に行って仕えるがよい。後にはきっと、あなたがたはわたしに聞くようになる。あなたがたは二度と自分たちのささげ物や偶像で、わたしの聖なる名を汚さなくなる」(エゼキエル20:39)。
 「そのころ彼らは子牛を作り、この偶像に供え物をささげ、彼らの手で作った物を楽しんでいました」(使徒7:41)。
 ユダヤの人々でさえそうでしたから、まして八百万の神の住む日本ではなおさらです。人間に過ぎない者が作った偶像の神々から、生ける真の神へ立ち返った人々は幸いです。なぜなら今の信徒もかつては皆何らかの形でこの偶像に仕えていたからです。