ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

池田清彦著『オスは生きてるムダなのか』を読む

 図書館から生物学者池田さんの『オスは生きてるムダなのか』という進化論的生物学の本を読みました。こうした本は進化論支持の朝日新聞がすぐ書評を載せます。
 かなり刺激的な題ですが、池田さんはオスの駄目さ加減をこれでもか、これでもかと挙げながら、多角的に論じています。
 でもあとがきでは、「生物学的には、オス・メスの違いは瑣末なものに過ぎない…様々なトピックを楽しんで頂ければ幸いである」と言っています。
 従って軽い「ノリ」で読まないと、ただ他の学者たちのいろいろな説を紹介しただけのアラカルト的なもので終わってしまいそうです(失礼!)。
 深刻な内容もあるので、少しつまみ食いし、進化でなく創造の立場から聖書を引用させて頂きます。
 この本の最初の部分で、池田氏は進化論者としての立場から、「…メスしかいない生物はたくさん存在する。オスとメスの二つの性は何がなんでも、必要で、なければ生物としてやっていけない、というわけではない…生物はメスだけで存在可能なのに、オスとメスがなぜあるのかは不思議と言えばとっても不思議だ」と言っています。
 しかし万物の創造主は創世1:20−25で、全ての生き物を「その種類にしたがって」造られました。そして創造の第五日目には、水の生物や空の鳥などに対して「生めよ。ふえよ」と言われたのです。その生む事、増殖に両性の存在は欠かせません。人間の男女の創造もそうでした。まず男、そして女の順序です。男の「ふさわしい助け手」(創世2:20)こそ女でした。そして人間も他の被造物も全て祝福されていました。すべてのものが「非常によかった」のです。
 それが人間の堕落で地が呪われるようになってから、そこに生息していた全ての被造物もその呪いの下に置かれ、不純さ、奇形、疾患が生じ、「滅びの束縛」(ローマ8:21)に定められました。メスしかいない生物もこの奇形の一つと考えられます。
 そして人間の堕落がさらに進みました。「神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである」(創世6:12)。
 そこで神は刑罰として全てのものを一掃しようとされました。それがノアの洪水です。しかしノアを含む家族は洪水を逃れ、神は再び彼らに対して「生めよ。ふえよ。地に満てよ」と命じられたのでした。
 そのノアの箱舟には人間だけでなく、地上のあらゆる動物たちのうちから代表的なものが雄と雌のペアで入りました。たかが箱舟と言うなかれ。合理的に設計された箱舟には、今日に至る多様性を持った生物たちが全て収められました。詳しくはヘンリー・モリス著『創世記の洪水』(邦訳はありません)参照。
 「またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない」(創世6:19,20)。
 ここには雄と雌の二匹が、洪水後の繁殖の為箱舟に入った事が明確に記されています。だからオスとメスが存在するのです。しかし人間の堕落した性質は、ノアとその家族にも受け継がれていますから、洪水後今日まで激変してしまった世界に 不純さ、奇形、疾患等々は残っており、不完全な生物が出現したのです。
 池田氏が「性はトリビアルでいい加減だ」というのは、この洪水以後の堕落した世界で生じた事です。「メスはとても貴重だが、オスは余剰で無駄といえる」「ヒトでも男より女のほうが重要なのだ」などといった軽率な発言は、学者として謹んで欲しいと思います。社会的影響も大きいからです。