ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東大医科研の被験者や他の関係者軽視と聖書の諺

 10月15日の新聞は、東大医科研のがん治療ワクチン臨床試験を巡る不適切な措置を一面記事ですっぱ抜いていました。
 何が不適切だったのでしょうか。それは医科研が開発したペプチドワクチン(勿論未承認)の効果を試す為の臨床試験(治験)で、がん患者である被験者(この場合膵臓がんを患っていた患者)が消化管から出血した事を、他の同じ臨床試験を行なっていた複数の大学病院に伝えていなかった事です。
 すい臓がんを患っていた患者はそれだけでも大変なのに、さらにこのワクチンにより消化管からの出血を起こした事実は、医科研も認めるように相当「重篤な有害事象」であったに違いありません。
 私は6度目の手術で横行結腸を切った後ICUで目覚め、第一回目のガーゼ交換の際、お腹のメスが入ったところからこうも出血するものかとびっくりし、且つうろたえた事がありますが、上記患者はただでさえ難治性のがんに重篤な消化管からの出血を伴った事で、相当衝撃を受けたはずです。こんなはずではなかった、それだけでもいのちを縮めるかも知れないと思ったかも知れません。
 しかしこのワクチンを開発した医科研の中村祐輔教授とその治験開始時の医科研病院長山下直秀氏に、朝日新聞が取材を申し込んだところ、どうも彼らからの直接のコメントを得られないうちに、医科研所長である清水元治氏の名前で、「他施設への重篤な有害事象の報告義務は負わない」と答えたそうです。
 この報道を見て、私は怒髪天を衝くほどの怒りを感じました。彼らは皆医者ではないか、それなのに患者に対しても、他の医療機関の関係者に対しても、思いやりの微塵もない、しかしトップとしての権力だけは持っている、近頃の大阪地検前田元検事と同じような「ちんぴら」ではないかと。(ちんぴらの定義に注目!)。やくざはやくざとしての権力を持って虚勢を張っているから「ちんぴら」なのです。
 私は以前東大医学部を出て埼玉医大で心臓血管外科をやっている、優秀で思いやりのあるクリスチャン医師の事をブログで紹介した事があります。その医師と電車の中で交わした会話で、東大で偏差値の一番高い医学部に入った人は、臨床よりもノーベル賞などを狙って基礎研究に入るのが普通ではないかと尋ねた事があります。意外にもその医師は基礎研究の類はつまらないと答え、臨床それも外科医を目指したとの事でした。特に心臓外科を目指した事で、その精密な構造と運動の中に「神」を見出して、その医師はクリスチャンになりました。
 しかし今度の不祥事を起こした医者たちは一体何者なのでしょうか。こんな「ちんぴら医者」から治験を受ける人や、情報提供を受ける人こそいい迷惑と言えないでしょうか。
 だから聖書の救い主イエス・キリストはこう言われたのです。
 「イエスは言われた。『きっとあなたがたは、「医者よ。自分を直せ。」というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。』」(ルカ4:23)。
 ガリラヤの人々はその地で活動していた医者たちのいい加減さを良く知っていたのでしょう。それは口伝えで広まり、「医者よ。自分を直せ」という諺になりました。その意味は勿論、他人の病気を治そうとする医者は、まず自分自身が健康であるかどうか吟味せよ、そして健全ならその後に患者を治しなさいという事でしょう。ここでの全体的な意味は、主イエスが本当に難治性患者を治す奇跡を行なう事が出来るなら、ここでもそれをやってみろという事でしょう。
 そしてイエスはこう言われました。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ2:17)。
 救い主、神であるイエス・キリストこそ真の医者です。東大医科研の「お医者さんたち」の猛省を促します。