ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東西ドイツの統一から20年=歴史的成功、イスラエルはどうだったか

 10月13日の朝日社説は、東西ドイツが1990年10月に統一されてから20年経過した事を報じていました。
 皆様ご承知のように、ドイツは1934年ヒットラーが総統になってから、ナチス党による一党独裁政治を行ない、1939年にポーランドに侵攻、第二次世界大戦を引き起こしました。
 しかしそれは長続きせず、1945年ヒットラーは自殺し、ドイツは連合国に降伏しました。そしてその領土は分割統治され、初めてその統一性を失いました。首都ベルリンも分割され、1961年にはいわゆる「ベルリンの壁」が作られました。その対立の構図は28年にも及びましたが、1989年ベルリンの壁が崩壊し、1990年ドイツは再統一されたのでした(ウイキペディア参照)。
 共産体制を敷いていた東ドイツと資本主義体制を維持して来た西ドイツとの統一後、長らく引き裂かれていた人々の融合には、様々な紆余曲折があったに違いありません。しかし20年を経た現在、まだいろいろな課題は残っているにせよ、朝日の評価は「歴史的な成功」となっています。
 現在ドイツは欧州連合の中核的存在として繁栄しているようです。
 ではイスラエルという国の場合はどうだったのでしょうか。
 国として形が出来る直前までシャファット(裁く者=邦訳では士師という難しい言葉)という人が民を治めていましたが、その最後のシャファットであるサムエルの時、民はサムエルの子らが裁きを曲げて放蕩三昧だった為、「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」と懇願しました。サムエルはむっとしたでしょうが、イスラエルの民の主である神は、民の願いを聞き入れられました。そしてサウルが初代の王として立てられたのですが、彼は数々の失敗をした為、神に「リコール」され、第二代目の王としてダビデが立てられました。彼も子らの反乱などでさんざん苦しめられて来ましたが、やっとエルサレムを首都にして統一国家を設立しました。それは息子ソロモンの時安定し、最も繁栄した国として確立しました。
 しかしその統一国家もソロモン王の後分裂し、北イスラエル王国(10部族)と南ユダ王国となり、両者は戦いを繰り返しました。再統一の動きはありませんでした。
 そのうちアッシリヤ帝国が勃興し、北イスラエルはその帝国により滅ぼされ、南ユダ王国はその後バビロン帝国に滅ぼされました(後者がいわゆるバビロン捕囚)。
 王国は消滅し、北イスラエルの10部族は行方不明となりました(彼らのその後については諸説紛々で、日本人は彼らの子孫だと言う人もいます)。しかしユダ王国の残りの者たちはエルサレムに帰還し、神殿復興を試みました。
 しかしかつてのダビデ=ソロモン時代のような王国は実現せず、ドイツのような再統一はなりませんでした。そこが大きな違いです。
 その後イスラエルの民はローマ帝国によってその地から完全に追放され、離散して各国に居留したわけですが、1948年に建てられた現在のイスラエルは、外部からパレスチナの地に侵入する形でしたので、これもドイツの場合と形態が異なります。
 ドイツの繁栄とイスラエルの紆余曲折を対比してみました。