ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

闇の底で繋がる貧困と自殺

 岩波ブックレットシリーズから、清水康之湯浅誠共著『闇の中に光を見いだす』を図書館で借りて読みました。
 清水氏は自殺問題の専門家であり、湯浅氏は貧困問題に精力的に取り組んでいます。両者共にばりばりの活動家です。
 この60ページほどの小冊子での対談では、あまり突っ込んだところまで行けませんが、いろいろ示唆を受けた箇所が見つかります。
 第一章の「貧困、自殺から見える日本社会」の最初のページにおいて、よく知られた警察庁の自殺に関わる統計資料が分かりやすく変形されていて、1998年の自殺急増がグラフから一目で分かります。12年連続の自殺者数3万人超はこの年から始まっていますが、98年には急激に8400人も増えている事がわかります。それは3月から始まったとの事ですが、ちょうど年度末、決算期にあたります。前年には北海道拓殖銀行、三洋証券が破綻、山一證券の廃業などがあり、翌年3月に失業者が急増して自殺が増えたという分析は、説得力があります。これは清水氏の考察ですが、その頃は湯浅氏によれば、格別貧困とは結びついていないという事でした。湯浅氏が見かねて活動を始めたのは1995年でした。
 その頃湯浅氏によれば「スポーツの世界」が注目されるようになったそうですが、その根拠としてテレビのニュース番組、新聞の報道で「スポーツ」の占める割合がすごく増えた事が挙げられています。
 これは私もピーンと来ました。テレビを見ていない私の場合、新聞において確かにスポーツ欄は従来見開き一枚程度だった事を記憶しています。その分政治経済社会の問題が広く報じられていました。それが二枚になったとの事ですが、10月13日の朝日では1ページ分の広告があるものの、見開き三枚になっています。スポーツがあまり好きでない私としては苦々しい思いをしていました。貧困・雇用・自殺など社会問題の取材がぐっと減っているからです。
 そして湯浅氏はこのプロスポーツにこそ「弱肉強食原理が貫徹している」と言っていますが、目から鱗とはこの事です。「強い者が勝ち、弱い者が負ける」、「弱い者が負けたのは弱いゆえに負けたのであって、言い訳は通用しない。結果がすべてだ」というのは、まさプロスポーツ界で起こる出来事ですが、それをテレビ・ラジオや新聞で見る私たちは、「一喜一憂」しています。この弱肉強食の競り合いを茶の間で見ている私たちは、ローマ帝政期に作られた円形競技場(=コロッセウム)で、人間対人間、人間対野獣の死闘を楽しんで見ている観客と、まるで同じではありませんか!
 そのメッセージが次第に社会全体に浸透して行き、経済的自由競争の原理とセットで持ち上げられていったのではないかと言う湯浅氏の洞察力はすごいと思いました。
 かくて弱い人々がどんどん零れ落ちて、自殺に繋がって行きます。その為のセーフティネットは全く機能していなかったと言ってもよいほどです。
 清水氏は自殺は自殺、貧困は貧困で別々に深く掘り下げて行けば、どこかで水脈に当たり合流出来ると考えていたそうですが、現代事態はまさにそのようになっていると思います。グラフでも貧困と思われる高齢者の自殺は高止まり、20〜30代の自殺が増えています。
 政権交代後の二人は内閣参与として発言を続けましたが、現在管政権でこの暗い闇の底に横たわる社会問題は、経済優先で急激になおざりにされてきたような感じがします。
 この本は管政権以前に書かれたもので、政権交代により闇の中にわずかながら光が見え始めた予感を持って終わっています。しかしまだまだ。
 ですから大いなる光は聖書に見出されなければなりません。
 「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った」(マタイ4:16)。
 この偉大なる光こそ救い主イエス・キリストです。「私はこの方に、望みをかける」(イザヤ8:17)。