ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

井戸から酒が出たという伝説のある町と、水をぶどう酒に変えられた方

 19月14日の新聞に面白い話が載っていました。「途中下車しませんか」というコラムで、JR千葉県酒々井駅の事が紹介されていました。
 実は酒々井にJRの駅があるとは知りませんでした。かつて茨城に居た時、神奈川に行く日は東関東自動車道を利用しており、途中に酒々井パーキングエリアがあって、よくそこに車を止めて休んだものでした。その頃はいつも亡くなった母と一緒で、JRを利用する機会がなかったので知らなかったのです。ただその酒々井という名前だけが特異で頭に残っていました。
 その「酒々井」ですが、「々」というのは漢和辞典に出てこないので、ネットで調べたら記号であり文字ではないと出ていました。「の」と発音する事が出来るそうで納得。ですから「酒の井」と漢字+ひらがなでも書けます。酒々井町のホームページを見ますと、専ら「酒々井」で通っている為、それに町の名前をつけると、さけのいまちになりそうですが、それが転じて「しすいまち」になったようです。間違ったらごめんなさい。
 その町の伝説として、円福院神宮寺の境内に酒の井戸と呼ばれているものがあるわけです。画像はホームページからお借りしました。

 その伝説が町のホームページに載っているので、そっくり拝借させて頂きます。
 「昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。その時、道端の井戸から何とも良い香りが『ぷうん』としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、『こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい』とたいそう喜んだ。息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。『きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない』とみんながほめたたえた。この酒の話しが広まり、村もいつか『酒々井』と呼ばれるようになったということじゃ」。
 つまり酒好きな老父と孝行息子がおり、ある日財布が空っぽになって酒が買えず、しょんぼりと帰る途中、道端にあった井戸を覗いたところ、酒の匂いがしたので飲んでみたら本物の酒だったというわけです。しかもその酒はなぜかこの2人以外では湧き出して来なかったのです。井戸水が老父とその孝行息子の為に、酒に化けて幸いを与えたという、ほのぼのとした伝説です。
 実は聖書でも似たような話があります。ヨハネ伝2章です。
 ガリラヤのカナというところで婚礼がありましたが、用意しておいたぶどう酒がなくなってしまいました。さあ大変です。しかし救い主イエス・キリストは地上にあっても神としての力を持っておられました。そこで奇跡のみわざを行使されました。
 「イエスは彼らに言われた。『水がめに水を満たしなさい。』彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。『さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。』彼らは持って行った。宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかった…」(ヨハネ2:7−9)。
 宴会の来客の為に用意されたぶどう酒が尽きたため、イエスは水がめの水をぶどう酒に変えて、仕える人々に渡されたのでした。
 現代においてそうした奇跡はありませんが、この救い主イエス・キリストを信じる事こそ「奇跡」なのです。