ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

奈良東大寺の大仏の足元から見つかった太刀2振りの意外な事実

 10月26日の新聞は、奈良東大寺の大仏の足元から100年前に見つかった太刀のX線調査で意外な事実が見つかった事を報じていました。
 その調査で分かった事は、2振りの太刀のそれぞれに「陽劒」「陰劒」の象嵌がくっきりと施されていた事です。最近のこうした調査ではX線によるものが威力を発揮しており、考古学の調査でも積極的に取り入れられています。
 新聞記事の画像によりますと、756年光明皇后が大仏に献納した品々を書いた「国家珍宝帳」という目録に、「陽寶劒一口」「陰寶劒一口」という文字が記されており、さらにその上に付箋があって「除物」と記されたものが貼られています。それは持ち出しの意味です。
 古代史家の解釈では、この2振りの太刀は東大寺を建てた聖武天皇が愛用していたもので、妻の光明皇后が大仏に献納した後持ち出されたとされています。その為におよそ1250年もの間、この太刀は行方不明となっていたそうですが、実は100年前大仏の足元から見つかっていた国宝の金銀荘太刀がまさにそれだったという稀有な出来事でした。
 それは大仏間近の土中45センチの所から発見された為、地元の元興寺文化財研究所などは、大仏周辺の調査をすれば、思わぬ発見があるのではないかと期待しています。
 見つからない見つからないと思っていた探し物が、案外自分の足元とか、手の届く範囲に元々あったという経験は、私たちには見覚えのある事でしょう。
 聖書にもそうした話があります。それは列王記Ⅱの22章で出て来ます。南ユダ王国の王ヨシヤの時あった出来事です。
 ヨシヤ王は主なる神に忠実な人で、その宮の破損の修理を大工らに手がけさせました。その宮の修理の過程で大祭司ヒルキヤは「律法の書」を見つけたのでした。まさに宮は彼らにとって足元と言ってよく、そこで律法の書(おそらくモーセの五書。当時まだ旧約は完成していません)が発見されたのは、極めて大きな出来事でした。その状況を聖書は記していませんが、注解書などを見ますと、ソロモンが宮を建てた時、その壁の中に奉納されていたのかも知れません。壁の補修で見つかったのでしょう。
 或いはこの旧約聖書の主体である律法の書の発見が大ニュースとなったという事は、ヨシヤ王の時代の礼拝でそれが朗読されていなかったのかも知れません。背景としては王の二代前のマナセ(55年間統治)と一代前のアモン(2年間統治)が、「主の目の前に」極めて大きな悪を行なっていた為、律法の書が隠蔽されたか、廃棄されて利用出来なかったのかも知れません。
 とにかく自分たちが出入りしていた宮の中で「律法の書」が発見された事で、ヨシヤ王の時大きなリバイバルが起こりました。
 「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される」(詩29:11)。