福岡伸一氏の生物多様性論における人間の位置づけについて
10月28日の朝日新聞に、名古屋での生物多様性条約第10回締約国会議開始に関連して、分子生物学者福岡伸一氏のコメントが載っていました。
福岡氏と言えば、6年ほど前に出た『もう牛を食べても安心か』と『プリオン説はほんとうか?』を読んで、難しい事をやさしく解説出来る優れた研究者だと思いました。ちょうど狂牛病が米国ではやっていて、その輸入に待ったをかけられていた頃の話です。またその原因が「プリオン」という謎の蛋白質にあるという説も、上記の本で詳しく述べられていました。それを読んで以来、私はいまだ米国牛を買って食べた事がありません。しかし現在その謎の物質についての情報がめっきり少なくなり、何だか忘れられた存在になってしまいました。サイトを開けば「アルツハイマー」に関する新しい情報ばかりです。
それ以後の福岡氏は「動的平衡論」とか「生物多様性」についてとか、専門の分子生物学を越えて幅広い発言を続けています。
残念なのは、世のほとんどの学者がそうであるように、福岡氏もまたれっきとした「進化論者」である事です。その語り口が極めて分かりやすい為、氏を通してますます進化論が若い人々の思考の中に刷込まれています。
そうした中での朝日の記事です。氏はこう言っています。「すべての生物は地球の循環のダイナミクス、すなわち動的平衡を支えるプレーヤーだといえる…だから生物多様性を保全することはそれを攪乱した人間の当然の責務である」。これはまさにその通りだと思います。
しかし次が首肯出来ません。「そもそも生物多様性とは人間の専有物だろうか。まったくの否である。生命38億年の歴史において人間が現れたのは多めに見積もっても、たかだかここ数百万年のこと。多様性はすでに作り出されたものとしてあり、彼らの蓄積の上に私たちの存在が成り立った」。
創世記の創造の6日間は、その日の最後に人間が造られる為の準備段階でした。神は人間がこの地球で住む為の最高の環境、生物の多様性をもって周到に用意されたのでした。
そして神は人間アダムに対して「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」(創世1:28)と述べ、人間に対して自然の管理支配を委ねられたのでした。ですからその時点で人間は自然の動的平衡を維持し、攪乱する事など考えもしませんでした。
しかし人間は罪を犯し、神に背いて園を出た後、自然を破壊し続けて来たのです。その呪われた地は、ノアの洪水で一度リセットされ、創造時点での自然は消え、大多数の生物が死滅しました。
しかし神はノアの箱舟に洪水以後再び生物の多様性を維持すべく、ペアでもって乗せられたのでした。そのみこころ通りに、人間も生物も増え広がって行きましたが、罪深い人間が神にとって代わり、再び自然を支配し破壊して今日に至っています。
ですから生物多様性を攪乱したのは人間であり、その責務が問われますが、人間は生命38億年、生物多様性確立の後、ここ数百万年前に出現したのではなく、自然環境や生物多様性の整った後の6日目の最後に、神によって創造されたというのがキリスト者の立場です。私たちはその事を愚直に伝えていますが、来たるべき時に真実が明らかにされるでしょう。
「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」(コリント第一1:25)。