ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

歴史家色川大吉氏の自分史の出発点と似たような聖書例

 色川大吉氏と言えば、学生時代に中央公論社の日本の歴史シリーズ21巻『近代国家の出発』を読み、また『明治精神史』も読んで、その一般民衆を視野に置いた歴史の叙述に感動した事を覚えています。
 東京帝国大学の史学科に入学した後、学徒出陣で海軍航空隊へ入隊した事を知りました。その頃の東大は平泉澄とか、その門下生の村尾次郎といった皇国史観の持ち主がいましたが、色川氏はどんな気持ちを抱いて戦地に向かったのでしょうか。
 そうした大学での皇国史観への反発と、過酷な戦争経験から、戦後の民衆を主体に考える色川史学が生まれたのでしょうが、私の大学時代は反戦運動も盛んにやっておられたと記憶しています。
 その色川氏が『昭和自分史』5部作を完結させたとの事で、朝日の記者からのインタヴューを受けたのが、11月1日の朝日新聞に載っています。
 色川氏の大学入学時はまさに激戦最中、その時の痛切な経験が民衆の一人としての自己検証に向かわしめた事への語りが、このインタヴューの白眉となっています。
 「私の10代は大戦争の真っ最中。私も含め国民の大部分が戦争万歳でした。決して一部の指導者が引きずったんじゃない。民衆が戦争を担い、焦土を招いた。なぜなのか。なぜあなたは、私は、あの無謀な戦争を疑わず支持したのか。一人ひとりの自分がそのとき何を考え、何をしたのかを問う学問が必要だと思いました。そこから歴史に対する反省と個人の責任が出て来る。それが自分史の出発点」。
 徹底して同時代の中の自己を問う態度は、1960年代終わりの東大・日大闘争に代表される全共闘運動でも示されました。勿論当時「右翼」だった私も問い詰められ、答えに窮して全共闘に加わる事になったわけですが、当時問うた左翼学生らは次々と「転向」して、今はのうのうと定年生活を送っています。私はこの全共闘時代の精神史が必要という認識です。
 それはとにかく、民衆一人ひとりが無謀な戦いに加担し、気がついたら民族の一つが絶滅の危機に瀕したという例が聖書にあります。それは旧約の士師記にあります。士師とは裁く人の事ですが、当時強力で持続的な権力者はいませんでした。各自が自分勝手な事をしていました。
 そうした中、エルサレムから北キロのところにあるギブアという町で事件が起こりました。そこはソドムと同じく男性同性愛者の住む邪悪な町でした。そこに滞在したレビ人(=幕屋の奉仕をする人)はそばめを同伴させていました。早速ギブアの人々はそのレビ人との性交を求めて押しかけて来ました。レビ人は応ぜず、代わりにそばめを外に出しました。ギブアの邪悪な者たちは夜通しそのそばめを輪姦しました。結果としてそばめは死にましたが、レビ人の主人は家に連れて帰り、女の体を十二の部分に切り分け、イスラエルの国中に送りました。
 怒ったイスラエルの民は団結して立ち上がり、ギブアを攻めようとします。そこは同胞ベニヤミン族の拠点でもありましたが、ギブアの強姦者を引き渡しませんでした。そこでベニヤミン族とイスラエルとの間で内戦が始まりました。
 緒戦で優勢だったベニヤミン族は次第に押され、遂には全滅の危機に瀕したのでした。そこまで徹底した殺戮をしたイスラエルは後悔しました。
 「イスラエルの神、主よ。なぜイスラエルにこのようなことが起こって、きょう、イスラエルから一つの部族が欠けるようになったのですか」。
 この問いが色川氏の問いと重なります。同じ同胞の普通の庶民が殺しあう羽目になったのはどうしてか、どうしてもっと自制出来なかったのか等々。
 現代の私たちも常に聖書を基準に、庶民の一人として絶えず自己検証をする必要があると確信します。