ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

道路を渡る時歩行者たちは群集心理に従う

 11月17日のフィズオルグサイト(英文)では、「道路を渡る時歩行者たちは群集心理に従う」という題の論文が載っていました。どちらかというと私たちにはなじみ深いものです。
 英国リーズ大学のジョリヨン・ファリア博士らは、歩行者たちが混んだ危険な道路を渡る時、他の歩行者たちに盲従し、羊の群れのように振る舞う傾向がある事を発見しました。博士らは交通がピークに達する3時間ほどの時間帯に、混んでいる交差点で365人の歩行者たちがどう行動するか分析しました。また群集の行動を無視したらどうなるかという事のコンピューター・シミュレーションもしてみました。
 結果は、混んだ道路で最初に渡り始めた人に引き続き渡る人々は、最大2.5倍もおり、性別では女性より男性の方が多かったという事です。人々は危険な横断でも他の人々と一緒なら、より安全だと感じるからです。女性の方が少なかったのは、男性より周囲をよく意識するからだそうです。
 その後が面白いです。そうした行動は進化論的に見ると、私たち人間よりも前に生じたのかも知れないという主張です。つまり群れる行動は多くの種に共通しているからだという事です。例えば野獣はワニの攻撃に会いそうなので、川の土手で神経質そうに待っていて、一匹が勇敢に川を渡ると、群れの全体がその一匹に従います。同じようにペンギンもヒョウアザラシの攻撃を受けないか心配なので、浮氷のへりで他の勇敢なペンギンが現れるのを待っています。そしてそのペンギンに引き続き一斉に海に飛び込むわけです。人間の行動も同じで全く「進化」とは関係ありません。
 ファリア博士は混雑する危険な道路を渡る時、他の人々に盲従しないで二度考えてから渡るよう勧めをしています。
 そうした行動をとるのは、聖書では羊が典型でしょう。臆病で狼の攻撃を受けないか心配しつつ、周囲の羊たちの行動をいつも気にしながら群れています。
 その羊たちが一斉に動くのは、先頭に立つ羊飼いの声を聴いてからです。ヨハネ10で羊たちの行動が示されています。そしてそれは主イエス・キリストが譬えとして出されました。
 「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます」(ヨハネ10:4)。
 この羊とは罪に汚れ、弱く、臆病で、一人ではやってゆけない、常に群れたがる人間の事です。彼とは羊飼いの事です。先頭に立って羊を導き、また狼の攻撃から安全に守ります。その羊飼いこそ救い主イエス・キリストの事です。
 「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)。
 この良い牧者がいのちを捨てるのは、かの十字架においてです。汚れた人間の罪を全て負って、身代わりとして十字架で死なれました。
 「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(ペテロ第一2:24)。
 しかしそれで終わりではありません。「聖書に従って三日目によみがえられた」(コリント第一15:4)のです。それが福音であり、その福音を信じる者は救われて永遠のいのちを持ちます。もはやこの方にあっては、救われた誰もが安全で、牧場の羊のように安心していられます。
 「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」(詩23:2)。
 絶えず群れていないと「いじめられそうで」不安なあなたへ。この救い主イエス・キリストを信じて従うなら安全です。