ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

石器時代は存在するのか

 11月4日の朝日新聞は、2000年11月5日毎日新聞のスクープによる旧石器捏造事件発覚から10年経た事を受けて、「旧石器慎重に真偽検証」という見出しでその影響を取材していました。
 新しい石器を古く見える地層に埋め込み、いかにも新発見という装いで、全く根拠もないのに時代を数十万年も前に遡らせたのは、一アマチュア考古学研究者でした。しかし「プロ」を自称する研究者たちだって、ほとんど無批判に彼の主張を受け入れて来た事では「同罪」です。
 その反省に立って真偽検証した結果によると、4万年を遡る確実な「中石器時代の遺跡」はまだ見つかっていないという事だそうです。
 しかしこうした石器時代の検証の曖昧さは、欧米でも全く同じような状況で、石器出土の地層の年代測定結果が何万年、何十万年と出ても、ほとんど問題にしていないようです。関心はその年代が「絶対的」なものという「想定」の下、専ら出土品の方に向かってしまっているようです。
 10月30日のサイエンス電子版で発表され、サイエンスナウ誌電子版で概略が載っている(http://news.sciencemag.org/sciencenow/2010/10/stone-age-toolmakers-surprisingl.html南アフリカのブロンボス洞窟発見の石器でも同じような事が言えます。

 この石器は「押圧剥離」という二次的加工技術で作られた尖頭器(槍先に装着して獲物をとる為の武器)で、これまで似たようなものはフランスの2万年ほど前と言われる遺跡から発見されており、日本でも旧石器時代末から縄文時代初頭頃と言われるもので「お馴染み」です。
 違いはそのブロンボス洞窟の年代を一気に遡らせ7万5千年前としている事と、欧州ではよく使われるフリントという石器材料ではなく、シルクリート(珪酸に富む水が浸透し濾過して表面の礫を膠結してできた礫岩=岩石辞典より)という、特殊な、硬くてフリントより加工しずらい材料が用いられている事です。
 研究者たちは専らそのシルクリートから動物の骨などを押し当てて細かく削る、「押圧剥離」技法の精巧さにばかり関心を向けているようです。サイエンスナウの見出しで「驚くほど洗練された石器時代の道具製作者たち」とある通りです。しかしそれは日本では旧石器時代末頃登場する、細石刃加工の為の「湧別技法」の存在でよく知られています。
 従って彼らはその年代を7万5千年前とする事に何の疑問も抱いていません。私はどうしてその年代が出たのか、その測定法を求めて関連するサイトを調べてみましたが、遂に見つかりませんでした。何らかの放射性同位体による年代測定法によったのでしょう。
 しかし創造論の研究サイトを見ても、そうした年代測定法の解釈が間違っている事が指摘されています。私たちは何万年前という年代を受け入れません。
 それでは聖書のはじめの人間たちはどんな生活をしていたのでしょうか。
 「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった」(創世4:2)。
 「アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった…」(創世4:20−22)。
 これらから聖書では人間創造から幾ばくもない堕落以降、ノアの洪水までの間に、人間たちが農業、牧畜、青銅や鉄を用いた手工業、そして琴や笛を用いた案学など、基本的に現代とそう変らない多様な仕事や芸術表現をしていた事が分かります。今からおよそ6000年前の事です。既に石ではなく青銅や鉄などの製品を作る技術を持っていました。だから「石器時代」という時代は存在しないのです。そこに考古学のセントラルドグマである旧・新石器時代→農耕社会の時代の再考が必要だと、私が主張する根拠があります。
 ノアの洪水で8人を除く人々が全滅してから、そうした営みは一時的に後退し、その後全世界に広がっていった人々は、安定した定住生活を送る前に、一時的に石器を使うという事態が生じた事は、容易に想像出来ます。それは短期間だけの事で、「石器時代」ではありません。繰り返しますが、最初の人間以来、石器だけを用いるような時代は存在しなかったという事です。以下のサイトを参照して下さい。
http://www.answersingenesis.org/articles/am/v3/n2/cave-dwellers
http://creation.com/one-blood-chapter-8-stone-age-people