ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

上流階級の人々は下流階級の人々の感情を読めない

 11月23日のサイエンスデイリサイトやフィズオルグサイト(いずれも英文)は、心理科学誌の最新の論文を載せていましたが、元の論文が公表されていないので、両者の題から拾ってみますと、「上流階級の人々は他の(そうでない)人々の感情を認知するのが困難である」と意味になるでしょう。
 それらによりますと、上流階級の人々は教育の機会に恵まれ、経済的安定性もあり、仕事に対する期待感などは相当大きなものがありますが、それは全ての事柄への熟達を意味しないということです。その最たるものは、上流階級の人々は、下流階級の人々が抱いている諸々の感情を読むのが苦手という事だそうです。
 例えば下流階級の人々は、幼児を託児所などに預ける事が出来なければ、買物などの間隣人や親戚などに頼らなければなりません。そうした相互関係の中で、彼らは他人の感情を読み取る事が得意になり、上流階級の人々よりもその面で優れた知力を発揮出来るという結論が出て来ます。上流階級の人々は余裕がありますから、お金でもって幼児を託児所に預ける事が出来ますし、とにかく何でも他人に頼らず、周囲の人々よりも独立心が強いから、他人の感情を読み取る機会もあまりないという事でしょうか。
 これはカリフォルニア大学やトロント大学の3人の研究者たちの成果になるわけですが、そんなに大袈裟にしなくても、私たちは経験的にそうした事は「分かっています」。
 ましてキリスト教信徒であるなら、余計そうです。なぜなら私たちの主なる神イエス・キリストがおられるからです。
 キリストは神ですから、全知全能です。人々の心を探り、読み取る事がお出来になる権威者です。
 「主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである…」(歴代第一28:9)。
 従ってキリストは「上流階級」どころか、「すべての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある」(詩113:4)と言われる方です。
 でも上記研究にある他人(下流階級)の人々の感情を読む事がお出来になる点で、上流階級の人々とは全く異なるのです。なぜでしょうか。
 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた」(ピリピ2:6−7)からなのです。天で栄光に包まれておられた方が、地上に来て貧しい人間のかたちをとられたからこそ、無知な迷っている人々を思いやることがお出来になるのです。
 ですから私たちキリストに従う者は、「自分のことだけではなく、他の人のことも顧み」(ピリピ4:4)るよう命じられていますし、そのような事が出来るのです。練達したクリスチャンは、聖書を基準に他人の諸々の感情を相当読み取る事が出来ます。勿論弟子として、師にまさる事はありませんが。