ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ピンピン長生き、ころっと往生願望と聖書の時

 12月1日の朝日新聞夕刊トップに「ぽっくり逝きたい」という大見出しの記事がありました。
 男女共に長寿となり、且つ医療の技術も進んだ為に、病んだ人を家で看取る機会が極めて少なくなりました。昭和47年私の父がクモ膜下出血で亡くなった頃は、まだなすすべもなく、母や兄、妹などが父の床を囲んでおり、父は遺言するだけの時間が持てました。ところが平成9年兄がやはりクモ膜下出欠で病院に運ばれた時は、ICUで「スパゲッティ症候群」の状態、ほぼ脳死に近く早く逝かせてあげたいという気持ちでした。ところが兄嫁は諦め切れずにそれから数日ICUで「粘らせた」為、亡くなった時は私大病院だった事もあり、莫大な医療費ばかり残りました。これは問題だと思いました。主治医も脳死と心臓死との堺を決めかねているようでした。人の死をどの時点にするかという深刻な問題は現在も続いています。下手をすると医師が訴えられかねない情勢です。
 その違いを見て来たので、人生の最期をどう迎えるのか、どんな最期を理想と思うかというアンケートに対する回答が、「ある日、心臓病などで突然死ぬ」と答えた人がトップで、75・9パーセントもあったのは納得出来ました。苦しまず、迷惑かけず、ぽっくり死ぬのが理想というわけです。
 そこで今や「ぽっくり寺」などの愛称で親しまれる寺や地蔵が全国で数十箇所も存在し、高齢の人々が訪れ祈願する為のツアー客がめっきり増えているとの事です。長野県の寺の参道に立っている「ピンコロ地蔵」や、奈良県の「ぽっくり往生の寺」がルポされていました。元旦の参拝客の層が受験生も含めて多様であるのに対し、こうした寺や地蔵は私たち団塊の世代以上に限られています。
 また医療の研究が進み、80代以上長生きしているとアルツハイマー病などにかかるリスクが大きくなるという事ですから、介護する家族も大変な状況になっています。100歳になっても心身共に丈夫でいられる人の数は非常に少ないようです。生の限界を知らせる「テロメア」の研究では、人生が120年を超える事はまずありません。
 それは勿論聖書でも言われている事ですが、平均的な人生の長さとしては以下の聖句が目安となりそうです。
 「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです」(詩90:10)。
 これを見ますと、健康な人で80歳代、大病をしたり、今もしている人で70歳代が「理想で」、それは神のみこころでもあるのでしょう。
 ですから大病をした私は、信徒でもありますから、70歳代で(勿論それより早まる事もあります)ぽっくり召されるのを理想としています。
 けれども死だけは人の思うようにはゆきません。神がその時を決めておられるからです。それは神の主権です。
 「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある…」(伝道者の書3:1−2)。
 皆様は聖書的な終焉の時をどう思われるでしょうか。