ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

インパール作戦、シベリア抑留で餓死した兵士たちの中にあって生還した人々の証言と聖書

 インド北東部アッサム地方にあるインパールを攻略しようとしたのは、悪名高き牟田口廉也中将の執拗な戦略によるもので、1944年に開始されました。当時戦局は悪化し、後方からの支援や物資の補給など望むべくもありませんでした。
 この悲惨な戦争の詳細は高木俊朗氏の『全滅』という本に書かれており、貪るように読んだ事があります。高木氏はこう言っています。「牟田口軍司令官はインパール作戦軍のなかの、ただひとりの肥った健康者であった」と。つまり彼を除く全ての兵士たちがやせ細り、マラリヤや餓死などで全く惨めに死んでいったわけです。退却戦に入った兵士たちが次々に死んですぐ白骨化した為、その道は「白骨街道」と呼ばれました。
 朝日夕刊の「語り継ぐ戦場」シリーズには、この作戦の僅かな生き残りである友田浩氏が登場しています。氏は既に91歳、この戦争を語る事の出来る貴重な生存者です。戦友たちが次々と餓死してゆくのを助けられずに、日本に生還した友田氏は、その事を自問しつつ今も語り継いでいます。
 また山野井公一氏も同じ91歳、戦後シベリアに抑留されました。その時の感想を氏はこう表現しています。「栄養失調で死ぬのは弾に当たって死ぬより残酷で悲惨です。冬は零下40度にもなる世界。毎日1人、2人と亡くなっていく。自分の番は、いつ回ってくるのかと…」。
 この発言は貴重です。私にはあまり想像力がありませんでした。栄養失調で餓死するのは、鉄砲の弾に当たって死ぬより残酷で悲惨という言葉には、体験した者でない限り、語る事の出来ない重い響きがあります。
 聖書にもそんな悲惨な場面が出て来ます。
 「剣で殺される者は、飢え死にする者よりも、しあわせであった。彼らは、畑の実りがないので、やせ衰えて死んで行く」(エレミヤ哀歌4:9)。
 ここでは銃ではなく剣で殺される者という違いがあるものの、飢え死にするのがいかに苦悶に満ちたものであるかが記されています。
 エルサレムユダ王国はバビロン帝国の攻勢で破れ、人々は捕囚として連れ去られ、またひどい飢饉に悩まされ続けました。それを預言者エレミヤが涙をもって書いたのが、この哀歌でした。
 その証言は奇しくも上記山野井公一氏のものと類似しています。
 伝道者(ソロモンと言われています)が「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない(伝道者の書1:9)と語った通りです。
 朝日はそうした生き証人たちの話を全く戦争体験のない若者たちが傾聴しています。その真摯な態度に敬服!