ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

岩波新書『健康不安社会を生きる』を読む

 この本は信濃毎日新聞編集委員である飯島裕一氏が11人の識者たちに、「健康とは何か」という事柄に関してインタヴューを試みたものです。
 健康に対する不安は現代日本社会において、特に中年以上の人々が抱いている切実な問題だと言えるでしょう。
 かつてイエス・キリストは「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか」(マタイ6:25)と言われました。ですから信仰心のあついクリスチャンなら、健康の事はあまり気にかけないと思いますが、格差社会における一般の人々は所得が少ないと、医療費にお金がかけられなくなり、不安感は増大してゆくでしょう。医療改革が進まず「自己責任」ばかり説く米国では、貧困層の人々は健康保持については、もはや諦めの境地なのかも知れません。
 この本を読み終わった時点で、頭に残った言葉があります。それは第二章で群馬大学教授の高橋久仁子さんが日本で初めて紹介した「フードファディズム」です。フードは分かりますが、ファディズムとは一体どういう意味だろうかという疑問があったからです。勿論読めば内容は分かりますが、語源的な問題で引っかかっていました。
 そこでウイキペディアを参照すると、ファディズムとは英語のfaddism(=気まぐれ、物好き)と判明しましたが、フードとの合成語でどういう意味になるのかは、このサイトの定義のほうが明快です。「食べものや栄養が健康と病気に与える影響を過大に信じること、科学が立証した事実に関係なく何らかの食べものや栄養が与える影響を過大評価することである」。
 それを頭に入れておいて、高橋教授の応答を追ってみました。教授はこの言葉を三つのタイプに分類しています。第一は「マスコミなどで健康効果が取り上げられた食品の大流行(例えば紅茶キノコ)、第二は「食品に含まれている成分について量を抜きにして、効能や悪影響を一般化して論じる点」、第三は「食品への期待や不安の扇動です。
 それらを読んだ後改めて思うのは、テレビ、週刊誌、健康関係の雑誌などマスメディアが情報を大量に流して、健康不安な人々の心を煽っているからではないかという事です。医療機関の適切な助言とは異なるものです。医者となら直接対話したり、質疑応答が出来ますが、こうしたマスメディアでは一方通行で融通が効かず、しかも言葉巧みなので、人々は安易に乗ってしまうのではないでしょうか。高橋教授の指摘するのは、マスメディアの流す宣伝文句などで、健康食品などと言われているものを安直に買い込み、食べたり飲んだりして、安心だと思い込んでしまう危険性だと考えます。
 ですから聖書でもそれと似たような事柄で、次の警告があるのです。
 「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている」(エレミヤ6:14)。
 私たちは全く真実な方、その情報が人々を完全に癒やし、益として下さる聖書の主なる神イエス・キリストにこそ拠り頼むべきではないですか。