ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

伴野淳一著『全学連と全共闘』を読み、自己否定について改めて考える

 伴野淳一氏は1961年生まれ、勿論全学連全共闘も実際に体験していません。団塊世代の私も全学連については、安保反対で国会突入した時、東大生だった樺美智子さんが圧死したという記事を、新聞で読んで知っていたという程度です。ただ全共闘についてはちょうどその時期大学生で、最後の学年において参加した事もあり、上記の本に書かれてある内容は理解出来ます。
 しかしルポした伴野氏も、東大全共闘が当時言っていた「自己否定」という考え方については、それを唱えた複数の人々がほとんど沈黙を保っている為、結局明確なところは分かっていないようです。
 「山本義隆とともに東大闘争の象徴となった自己否定という思想が、最後まで安田講堂に残った少数の東大生や院生たちの間にどの程度共有されていたか、はっきりしたところはわからない」。
 しかし当時理学部から院生になり、闘争に参加した大橋憲三氏へのインタヴューから、意外な事を知りました。大橋氏はいわゆるノンセクトラジカルではなく、ML派というセクトに属していたそうですが(実は私はそのシンパでした)、山本氏の提唱した自己否定の論理を真っ向から否定していたのです。そして東大全共闘でも最後まで残った20名の精鋭について、大橋氏ならリーダーシップを執れたのに、山本氏が精鋭20人を黙らせたと書かれていた箇所を見て、私は茫然としました。当時の記憶でもこの「自己否定」という思想は極めて斬新な発想であり、私自身もそれに則って自分を検証し、結果的に全共闘に加わったからです。それが今振り返ると、決して当時の東大生、院生らの大半が共有していたものではなかったという事です。結構複雑な内部闘争に近い事があったのでしょう。それゆえ彼らの大半が今なお沈黙しているという点が、少しでも分かって来た感じです。自己否定は実態ではなく、一人歩きしていたというのであれば、今後も語られない限り、そう遠くない未来に「化石化」してしまうのでしょう。
 しかし山本氏が朝日ジャーナルなどに盛んに書いていた頃、私はこの思想と聖書のイエス・キリストとの出会いをし、大学を出た後工場労働者として働き、大病して未来に絶望していた時、信仰に入っていったのです。
 その後聖書の中から「それから、イエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』」(マタイ16:24)というみことばを見つけた次第です。
 「自分を捨て」とありますが、アパルネオマイ(=否定する)とヘアウトゥ(=自己)から成っていて、まさに自己否定です。自分自身の誉れの追求、自己中心、自己満足、自己啓発…自己に付き纏う世的な罪の性質をばっさり捨て去って、主イエスに従う者となれという事です。しかしそれは自力では無理なので、聖書を読む事によって働かれる神の第三位格である「聖霊」の御力に頼らなければなりません。それは信徒の歩みを始めてから不断に続く事柄であり、東大全共闘などの挫折とは無関係です。関わっていた東大生からの意外なルポから、自己否定の事を改めて考えて見ました。