ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

斉藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』を読む

 岩波新書斉藤美奈子著『冠婚葬祭のひみつ』を図書館で借りて読みました。
 第一章は「冠婚葬祭の百年」となっていて、その歴史的背景が述べられています。第二章は「いまどきの結婚」、第三章は葬送のこれから」という題の下、相当詳しく書かれています。特に結婚式や葬式の費用の内容や金額が4年前の相場で具体的に記述されており、初めてそうした事に関わる人の為にはかなり実用的で、参考になるものが多いでしょう。
 しかし私としては第一章の歴史の方で興味をそそられました。例えば婚姻の形は明治民法で定められたとあります。それが一夫一婦制なのですが、当然「不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい」(コリント第一7:2)などの聖句にある如く、キリスト教から来ています。斉藤さんは「キリスト教の習慣」と言っていますが、「習慣」ではありません。神が定められたものです。
 ではそれが定められる前はどうだったのかと言いますと、「男は『妻』のほかに複数の「妾」をもつのが当たり前だった」のです。でもその実態は日本の富裕層、エリート層(政界、財界、学会、文壇」に限定されていたとは知りませんでした。そこで斉藤さんは明治民法以前のそうした階層の人々を「スケベジジイ」と呼んではばかりません。
 しかし神が規定されたその結婚制度も、人間の「罪」の為しばしば一夫多妻の形は聖書に登場します。新約では監督(=現代の牧師などの教職者たち)にふさわしい資質として、「監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり…」(テモテ第一3:2)とわざわざ説明しているくらいですから、教会という人々の集まりの中にも、そうでない不品行な人々が存在していた事が暗示されます。
 また斉藤さんは良妻賢母意識についても触れ、「女の幸せは結婚」と言われ、妻が家庭に入り専業主婦として活躍し、子どもたちを育て、代わりに夫ひとりがその家庭を支えるようになったのは、意外にも「戦後になってから」と言っています。戦前は一部の中産階級しかそうした事は出来ず、既婚女性の相当数が生産活動に従事していたという明快な指摘をしています。確かに「銃後」を守る女性たちは労働力として戦争を支える立場に置かれていたわけです。その意味で夫を赤紙一枚で戦争に徴用され、挙句の果てには戦死という事で悲劇的結末を向かえる覚悟をしなければならなかった女性たちは、「結婚といっても幸福」と言えなかった暗黒の時代を過ごしていました。
 それが聖書ですと「しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます」(テモテ第一2:15)という表現になります。救われるとは幸せになるという意味合いです。
 また夫が家族を養うという点では、「いやでも夫婦は主従関係に近づく」とあります。現在は妻も強くなりましたが、一時そうした時代が存在していました。
 それについて聖書でも、「妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい」(コロサイ3:18)という表現があります。勿論これは神を知らない未信徒の夫婦とは異なる関係です。
 斉藤さんの本から改めて結婚について考えて見ました。