ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

色川大吉著『日本人の再発見』から考えた事

 色川氏の『日本人の再発見』には多くの人々が登場します。この本の「東北人論」は非常に面白かったです。
 千葉県生まれの近代史家色川氏は、戦前の東北の第二高等学校に在籍した時、その山村などをよく訪問し、学者になった後もずっと東北人に興味を抱き研究を続けていたのでしょう。
 その東北ですが、昔は関東地方から見れば北方の辺境でした。でも色川氏が挙げている人物を見ると、そこが多士済々であった事が分かります。
 原敬宮沢賢治新渡戸稲造、米内光政、東条英機板垣征四郎、斉藤実、石原莞爾等々。
 そして色川氏は東北人の特徴として、牛のごとく鈍重、粘り強いという事を挙げていますが、他にもこの論考の最後のほうで絶対志向、世界志向というものも彼らの中にあった事を指摘しています。
 私が知らなかった人物として最初のほうで取り上げられていたのは、原敬を教えた小田 為綱という人です。この人は東北にまだ旧制高校や帝大がなかった時、規模の大きな総合大学を作り、東北開発のブレーン集団を養成しようと考えたそうです。
 彼は1839年に岩手県の現久慈市に生まれ、昌平坂学問所で学んだ後、森岡藩の藩校で教えをしていました。また憲法草稿評林と呼ばれる明治帝国憲法草案も作った事で知られています。
 残念な事に彼は西郷の西南戦争に呼応する形で、東北地方でも士族の反乱を起こそうとして捕まったりした為、描いていた壮大な計画は頓挫したようです。しかし色川氏によれば、彼は後進者の養成や、地元運動の指導者として活動を続けたとあります。おそらく彼も粘り強い、世界志向の人ではなかったでしょうか。
 それらに思いを馳せながら、聖書の主なる神イエス・キリストの事を考えています。
 キリストもガリラヤのナザレ生まれ、主要な都市エルサレムからすれば、北方の「辺境」で弟子たちを養成しながら、布教活動をしておられました。しかし地元の人々は「ナザレから、なんのよいものが出ようか」(ヨハネ1:46口語訳)といった考えを抱いていたでしょう。
 しかしキリストは地上でのご生涯の間に教会を建て、重要な制度や規約を制定されました。そして勿論その福音が全世界に広められる事を望んでおられました。鈍重ではありませんでしたが、ねばり強く神の奉仕を続けられました。そして最後に罪のないのに逮捕され、十字架刑に処せられたのでした。
 勿論福音とは、その死なれたキリストが埋葬され、三日目に甦られた良い知らせを意味します。小田 為綱は死んでそのままでしたが、キリストは今生きて天にて私たちのために働いておられます。やがて全世界の覇者として再臨されます。十字架で私たちの罪を負って従容として従った方が、二度目には鉄の杖をもって君臨されます。この方は正義であり、そのみことばは、憲法草稿評林を草稿した小田 為綱には完璧なものと映ったはずです。そしてこの方は色川氏が取り上げた世界志向の人間たちを凌駕する方でした。