ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

佐原真著『考古学千夜一夜」に収められている「戦争と平和」批判

 図書館から上記の本を借りて読みました。佐原氏は大阪外大から京大大学院で考古学を修めたという異色の人で、2002年70歳で他界しました。
 考古学に対して独特な見解をとった人で、上記のエッセイにもそれが遺憾なく発揮されています。読んでいて分かりやすいです。
 しかしその第一章「戦争と平和」はいろいろ示唆されるところがあるものの、聖書的見地から違和感を感じた箇所もあります。
 氏は1932年生まれで、戦争中東京にいましたから、空襲をもろに受けた経験があります。その時B29が墜落したので、乗っていた米兵の死体を足蹴りにしたという苦い懺悔の気持ちからこの章を書き出しています。そして次に目を考古学に転じています。
 その中で氏はマタイ16:19を引用していますが、それはキリストが弟子であったペテロに言われている箇所です。「キリストは聖ペテロに天国の門の鍵を授けました。これが代々ローマ法王に伝えられて現在に至っているとされています。ということは天国には門があった。おそらく門だけではなくて“wall”もあったことでしょう。“wall”は城壁とよく訳すのですが…天国にはそれがめぐらされていた」と言っています。勿論それは誤りとも言えます。まずキリストがペテロに与えられた天の御国のかぎ→ローマ法王という図式が間違っています。使徒行伝を見ても、全然そうした流れではありません。キリストが地上におられた時教会が建てられ、その初代教会でペテロだけが特別牧会の責任を負っていたのではありません。さらにこの箇所の原文はあくまで天の御国の「かぎ」(クレイス)だけです。「門」は余計です。そこから敷衍して城壁の存在まで言及するのは行き過ぎです。しかもクレスス=門はあくまで霊的な事柄で、キリスト御自身を指しています。「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます」(ヨハネ10:9)。確かにその箇所に「囲い」という言葉が出て来ますが、譬えの表現で城壁とは無関係です。キリストを信じる者だけが御国の門から入れるのですが、未信徒は目に見えない「囲い」から弾き出され、外で歯噛みしハデス=地の深い所にあり最終的な裁きを待つ一時的囲い=に下って行きます。
 次に氏は狩猟採集民(*主として石器使用)と農民を比較し、農民の方が好戦的で残虐と言っています。農作物や家畜をたくさん所有している者たちとそうでない者たちがいるからです。そこに争いが起こるわけです。氏は「石鏃」(*石のやじり)を根拠にしています。それについて氏は、農耕の始まった弥生時代は縄紋(佐原氏は縄文という言葉を使用しません)時代と異なり、明らかに人を殺す為の道具と化した事を指摘しています。特に黒曜石の石鏃は弓矢で射ると、凄い威力を発揮します。さらに弥生時代には濠を巡らし、垣を巡らす遺跡が多くなっている事を状況証拠としてあげています。
 それに対して創造論者たちは最初の人アダムが罪を犯し、エデンの園を追放されてすぐ、「人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった」(創世3:23)とある如く、農耕は最初から存在し、所謂縄文時代などの「石器」を主体とする狩猟採集民を認めていません。その最初の人の子以後その子孫たちは程なく「青銅と鉄のあらゆる道具の鍛冶屋であった」(創世4:22)ので、おそらくそれらは道具でも人を殺すものともなったでしょう。この4章は「復讐」という穏やかでない言葉がよく出て来ます。最初から農民、最初から好戦的だったわけです。
 そして最後に氏は「人を殺すという闘争本能は存在しないという立場に立つことです」と言っています。北京原人などにしても、基本的に平和であったと氏は推測しています。野蛮→未開→文明の流れの中で武器が発達して来た、それを今見直し考古学徒として戦争をやめようという運動を起こそうと提案しています。
 しかし闘争本能はアダムの最初の子カインに見られ、以後彼らの子孫が増えると「人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く」(創世6:5)とあるように、闘争本能は罪を犯した人に固有のもので、人創造後の堕落から今日までずっと続いています。聖書によれば、その人々の「争い」の罪を押し止めることは不可能です。キリストは「戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです…」(マルコ13:7)と、将来を預言されました。それが止むのはキリストが地上に再臨されてからなのです。その時真の平和が到来します。佐原氏は今頃このみことばをどう考えているでしょうか?