ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

葬儀のお布施、リベートと教会の葬儀

 2月11日の朝日新聞は「お布施からリベート」という題で、僧侶から葬儀業者にその一部をリベートとして渡している仕組みを紹介していました。
 仏教の葬儀に出ますと、僧侶が読経して退出する時、遺族側からお布施と称してお金を幾ばくか包んで渡す場面が必ずといってよい程見られます。
 今回の取材では、そのお布施の一部が僧侶から何と葬儀業者に渡っていた事実が解明されました。
 この不景気な日本の社会にあって、地方の寺の檀家が激減しており、僧侶が生活出来ず困窮しているのはあり得る事態です。
 そこに目をつけたのが葬儀業者で、葬儀の際の読経という「仕事」を紹介してあげ、僧侶が見返りとしてお布施の一部をリベートとして受け取っていました。もし僧侶がこんな悪習慣を拒否すると、以後業者からしばらく何の依頼もなくなってしまう事が多々あるようです。或る悪徳業者は僧侶から実にお布施の7割の支払いを要求したという、長野から東京に移って来た僧侶が証言していました。
 このリベート分が葬儀の喪主側の支払うお布施に上乗せされている事例もあるようで、喪主からのお布施が少ないと僧侶の読経の時間も短くする事があるそうです。
 ひどいのは、こうした悪徳業者が受け取ったリベートがちゃんと記載されず、税務申告もしていないようなのです。
 寺が宗教法人として認められると、お布施などは基本的に非課税となりますが、業者はそこを巧みに利用して利益を挙げています。
 国税庁はこんな悪徳業者をどんどん摘発してもらいたいと思います。
 キリスト教にしても、専門の業者はいますが、葬儀は基本的に故人を召して下さった主なる神を誉め讃える事が目的であり、事前にその為のプログラムを組みます。故人の親族と教会はよく相談して葬儀費用を決めますが、「お布施」に似た慣行はありません。お棺や斎場までの車の費用など、最低限かかるものは必要ですが、その他司式を執り行う牧師に対する謝礼や、献花をどれ位するかといった点で、多少とも費用の差が出ますが、基本的に「金目当て」ではないので、喪主の側で決めてくれれば済む事です。それによって葬儀内容が変更になる事など一切ありません。生花の多寡があっても、およそ30万も見ておけば良いのではないですか。勿論教会と繋がっていない人の場合、依頼を断る事はあります。
 プログラムも故人を偲ぶ証と聖書の朗読、賛美などほぼ1時間で終了します。
 「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」(ヘブル13:5)。これが牧師や教会の本質的な立場で、寺や僧侶と全く異なるところです。