ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

小宮一慶著『ぶれない人』を読んで

 小宮氏の上記の本を読みました。
 氏の主張する「ぶれない」人とは、「自分の信念をしっかりと持ち、それを貫いている人」の事です。では「信念」とは何か。それは「正しいと信じる考え方」です。では正しい考え方とは何か。歴史上の偉大な人物の生き様、論語、仏教聖典、聖書などの優れた書物にヒントがあるという事になります。それを伝えるのが本書の目的なのだそうです。そしてそれを身につければ、振り子の原理のようにゆらゆら揺れても(ぶれても)、また原点に戻る事が出来るのだそうです。
 そこで氏は歴史上の古典に答えを求め、持論を展開しています。該博な知識で諸書から引用していますが、待てよ、歴史上の偉大な書物である「聖書」からの引用がすっぽり抜けています。ですからそこからは巷に溢れている会社員の為の「ハウツー物」とあまり変わりません。
 よく読めば聖書に既に書かれてある事ばかりです。
 「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない」(伝道者の書1:9)。
 また氏の言う「信念」は、聖書では「信仰です」。信仰の定義はいろいろありますが、何よりも神であるキリスト・イエスの全てのみことば=聖書を正しいと信じる考え方です。詩篇作者のあかしがあります。
 「それゆえ私は、すべてのことについて、あなたの戒めを正しいとします。私は偽りの道をことごとく憎みます」(詩119:128)。
 しかしこの信仰は神の賜物であり、未信徒はそれを身につける事が出来ません。罪咎というものが人の心にあるからです。
 「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(イザヤ59:2)。
 未信徒はこの神により頼む事が出来ないないから、心はいつも揺れ動き、ぶれてしまいます。
 「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです」(ヤコブ1:6)。
 従って小宮氏がいかに「正しい考え方」を啓蒙しても、効果はありません。氏自身がそう言っています。「本当に良い仕事をして、仕事を楽しんで、経済的にも豊かになれる人は、それほど多くはいないのです。お金や地位は魔物で、それが目的化しやすく、その欲から、次の段階へ『昇華』できる人がほんのわずかだからです」。こうした事柄は小宮氏でなくても、既に聖書では真の神が言っておられる事で、800円近く消費しこの本を購入するより、聖書に真剣に対峙する事を勧めます。