ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

中江和恵著『江戸の子育て」を読む

 図書館で上記の本を借りて読みました。
 子育ては現代でも引き継がれている大きな問題ですが、この本を読み通し、江戸時代は現代より遥かに優れた子育ての仕方があり、またそれに関する優れた本が多くある事が分かりました。
 幕末に日本を訪れたロシア正教会のニコライ宣教師が「国民の全階層にほとんど同程度にむらなく教育がゆきわたっている」と、驚きをもって綴っているのも、けだし当然だったのでしょう。勿論冒頭部分に、かの徳川家康の子育ての失敗も紹介されていますが。
 いろいろな学者思想家たちの子育て論が掲載されていますが、それらを読んで何と聖書に出て来る事例と似ているのかと感心しました。聖書でも子育ての失敗を描写していますが、その罪について特に言及せず、さり気なくという事で読む私たちに黙示している場面があります。
 いわゆる十戒には「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20:12)と記されており、旧約では「自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない」という厳しい掟がありました。中江藤樹は「父母のおんとくハてんよりもたかく、海よりもふかし」と言っています。しかし父母の慈愛も子育ての方法を誤れば「姑息の愛」となる為、子育ての失敗は世間から繰り返し批判されたそうです。世間からの罰です。ですから藤樹は『鑑草』という本の中で、父母を敬わせるやり方をきちんと記しています。
 また貝原益軒は『和俗童子訓』という本の中で、兄弟の仲が悪くなるのは、多くは親のえこひいきによるとした上で、「一人を愛し、一人を憎めば、愛された子は日々に奢りを増し、憎まれた子は日々に怨みを募らせ…ついには仇敵のようになってしまう」と言っています。これなどはただちに創世記のふたごの兄弟ヤコブエサウの例を思い出します。
 「イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた」(創世25:28)。それによりこの二人の子は仇敵のようになってしまいました。
 また著者は永井堂亀友という人の本を引用していますが、そこには「この百姓の家は弟に譲って相続させ、総領は京へ出して資本銀を相応に与えて、何か商いをさせるつもりだ。弟に家督を譲り兄を商人とすること、決して親のえこひいきと思うな」というくだりがあります。これも上記のエサウヤコブの例に一致します。長子エサウ家督相続の権を持っていたのですが、軽率な行為で弟ヤコブに長子の権を売りました。「エサウは、『見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。』と言った。それでヤコブは、『まず、私に誓いなさい。』と言ったので、エサウヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った」(創世25:32−33)。この場合父親の意図ではなく、狡猾なヤコブエサウから家督の権を奪ったと言ってよいでしょう。
 この本全体を読み、今の若い親たちは江戸の親たちのレベルより低いと思いました。聖書を手元に子育てをすれば違うと思いますが。