ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

風邪でも花粉症でもないのになぜマスクか

 2月17日の朝日新聞では、「大人もだてマスク」という題で、風邪でも花粉症でもないのにマスクをしている中高生以上の人々へのインタヴューがされていました。
 いじめに会っている中高生などの場合、「顔を隠せて視線にさらされない安心感がある」という事ですが、50代の方々の中では自分の顔に自信がないと思っている人もいるそうです。
 また昨今鳥インフルや豚インフルが流行した時、爆発的にマスクが売れ、従来のものより格段に改善されたものも出回っている為、マスクをする事だけでも安心感は得られるのでしょう。私も冬季電車で通勤する時は必ずマスクを着用しています。そうでない人々に限って激しい咳を平気でしているのを、頻繁に見かけるからです。
 でもそうした風邪の流行期間を過ぎてからのマスク姿を見ると、きっと違和感を感じるでしょう。過去の事例から犯罪とかよからぬ事を連想させるからです。 しかしインタヴューに答えたある中学生は、「顔は隠せても心は隠せない」と悟り、マスク着用をやめたそうです。そして過去に辛いことが多くあったにしても、今は「ありのままの自分」をさらけ出して生きて行く決意でいます。
 そうなのです。目に見えなくてもどこにでもおられる主なる神はこう言っておられます。
 「しかし主はサムエルに仰せられた。『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る』(サムエル第一16:7)。
 人は見た目が一番といった類の言葉がはやりましたが、全知全能遍在の神は人の心を見られるのです。ですから悪者が心の中で「神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ」(詩10:11)とうそぶいても無駄です。神は人の心の全てを見抜いておられるのです。
 最初の人アダムとエバは善悪の知識の木の実を食べて罪を犯した後、神の御声を聞いて恐れ「主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」(創世3:8)のですが、今の人はこの主である神を畏れませんから、浅はかにもマスクで顔を隠し、心までも隠せると思っています。
 そうした人はいつか裁かれます。しかし神はそれ以上にご自分を畏敬する者の心の罪を赦し、見なかった事にして下さる御方ですから、その御前にありのままの自分をさらけ出し、赦しを得て堂々と世の中を生きて行く事が大切です。