ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

戦後の見合い結婚と聖書のヤコブの例

 2月19日の朝日新聞では「サザエさんをさがして」という題の連続記事で、「お見合い」を取り上げていました。
 日本帝国陸海軍は第二次世界大戦末期状況が悪化する中、学徒やさらに若い人たちを徴用し、各激戦地で戦死させて来ました。
 この為敗戦となってから結婚適齢期の若い男性が少なくなり、未亡人となった若い女性や独身女性がたくさん出現したようです。朝日は「そこで始まったのが公開集団見合いだ」と書いています。ちなみに戦前は結婚総数の約7割が見合い結婚だったそうです。それは戦後もしばらく同じ割合だったでしょう。恋愛結婚がそれを抜いたのは60年代半ばだと言われ、現在恋愛結婚の割合は実に87パーセントを占めているそうです。
 1947年に始まったこの集団見合いは、次第に各地にも広がり、相当数の成立を見たそうです。そうした話題をサザエさんも取り上げています。サザエさん自身がマスオと見合い結婚しています。
 聖書にもそうした見合い結婚の例が載っています。しかしその背景では神が関与しておられます。
 「イエスは答えて言われた。『創造者は、初めから人を男と女に造って、「それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。」と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません』」(マタイ19:4−6)。
 旧約聖書ヤコブという人が登場します。母リベカはその兄ラバンのもとへヤコブを送り出しましたが、その意図の中にはきっとラバンの家族の中にヤコブにふさわしい妻が見つかるのではないかという期待感もありました。
 ヤコブは遠い東の国に無事たどり着きましたが、その地に住むラバンには二人の娘がいました。一人は姉のレア、もう一人は妹ラケルでした。
 この二人の顔立ちは異なっていました。「レアの目は弱々しかったが、ラケルは姿も顔だちも美しかった」(創世29:17)。
 ここでレアは目が弱々しかったとありますが、辞書で調べますとラックというヘブル語は「からだが虚弱な」という意味に近いです。一方ラケルは「姿も顔だちも美しかった」のです。これだけでは対照的とは言えませんが、ラケルのほうが活発な美人だったのでしょう。一般に男は美女に惚れると言えるのでしょうか。このヤコブは「見た目」の美しさで、ラケルに惹かれたのです。この出会いの場面、ラバンが設定したのかどうか定かではありませんが、二人つき合わせてのお見合いだったと思われます。結果的にヤコブは二人をめとる「一夫多妻」となりました(勿論神のみこころは最初から一夫一婦です。しかも同じ信仰の持ち主になります)。それは「罪」ですが、からだが虚弱だからと言って切ってしまうのも罪です。主なる神は「弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ」(詩113:7)と呼ばれる方だからです。それゆえ主は見合いの場でヤコブを「試された」と言えるのではないでしょうか。