ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

9・11以後の米国や西欧諸国だけでなく、日本も相当な監視社会であるという事実

 森達也著『誰が誰に何を言っているの』を読みました。森氏は映画監督であり、映像の与えるインパクトを承知している人ですから、この本にも相当多くの衝撃的な写真が多く収められています。
この本は三章から成っていますが、第一章の「監視するのは誰か。そしてされるのは誰か」が、いろいろな事を考えさせられました。
 米国などでは9・11事件以後、空港などでの監視体制が強化されており、自由に渡米出来る時代ではなくなりました。日本はまだまだそこまではと思っていましたが、さにあらず。全身透視スキャナーはまだ導入されていないでしょうが、監視体制は全国津々浦々に及んでいます。
 写真を見ますと、日本でも相当数の監視カメラがどこにでも張り巡らされている事が分かります。殺人などの凶悪犯罪が減り続けている(日本は治安状態が最も良い国です)にもかかわらず、そうした装置ばかりでなく、防犯の為の自警団なども組織され、挙動不審な者と見られると、排除されてしまいそうです。
 テロ警戒中の看板は、なんと静岡安倍川奥の山中でのトイレ案内板にも貼ってありましたし、鳥取市内でも「ヘンな恰好をした」高校生が職務質問されています。要するに都市だけでなく、地方のそれも辺鄙なところでも監視体制が敷かれていて、普通の人と同じでない恰好や容貌であると、ひっかかる事になっています。凶悪犯罪が減っているのに、警戒態勢は強化されているとは、何かおかしな社会です。
 以前にも書きましたが、聖書の神は全知にして遍在の方です。誰であろうとこの方から逃れるすべはありません。
 「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです」(詩139:7−12)。
 「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです」(ヘブル4:13)。
 神は天から全ての人の心や行動を監視しておられますから、私たち人間に過ぎない者は、隠しおおせるものが一つもありません。そしてその心や行動に従って終わりの日は私たちは神の御前に申し開きをし、捌きを受けなければなりません。
 たとえ監視する人が警官であろうと、自警団を組織する普通の人々であろうと、弱い立場の人々を虐げれば裁かれます。
 ですから私たち信徒は全能な監視者である神を畏れ、御前に全てを正直にさらけ出す人でありたいと願っています。