ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

日本で最初の心臓移植手術を行なった和田寿郎氏の死

 1968年日本で始めて心臓移植手術を手がけた和田寿郎氏が、2月14日88歳で亡くなりました。
 なぜ和田氏の名前が有名なのかと言いますと、この手術で和田氏が殺人罪で訴えられたからです。レシピエント(=臓器被提供者)にとっては待望の心臓でしたが、残念ながら83日目に亡くなりました。心臓移植後それが非自己と認識され、免疫系による拒絶反応が主要な原因と見られます。
 聖書には「私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです」(イザヤ64:8)とあります。粘土で作られた器にどれ一つとして同じものがないように、創造主である神は、意のままに人間を別個のものとして造られました。それゆえ免疫系の自己ー非自己という関係も厳として存在します。和田氏はその事実にほおかぶりを決め込み、手術は事実上の失敗となりました。
 またドナー(=臓器提供者)の脳死判定についても、まだ社会的合意もなく、情報の提供もないまま密室で行なわれた事は、脳死そのものでさえ本当であったのかという疑惑を抱かしめ、殺人罪で告発されたのも当然の事です。
 脳死も医学の発展の産物であり、機械によって生かしておくという処置は、人間の編み出したもので、神の領域に踏み込んだものと思われます。
 やはり聖書には「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある」(伝道者の書3:2)というみことばがあって、死ぬ時を定めておられるのは神だからです。
 今から43年ほど前のこの事件で脳死や臓器移植問題はしばらく棚上げされ、脳死を人の死としたのは、1992年の脳死臨調の答申の時でした。それから7年経過して再び心臓移植手術が再開されたわけです。
 それにもかかわらず、脳死問題は糸を引いています。この2011年2月25日の朝日新聞夕刊でも、アンケート調査を行なった結果として255人の医師から回答を得ていますが、そのうち脳死を人の死としていたのは56パーセント、心臓死を人の死としていたのは14パーセントでした。しかし小児の場合、脳死をもって死と認識していない医師は、実に4割にまで及びました。他にも脳死判定に躊躇する医師はかなりいました。
 たぶんに人間主義的な色合のあるこの脳死=人間の死が、圧倒的多数による社会的合意を得るのは、事実上不可能と言えるでしょう。
 「神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ」(伝道者の書7:29)。
 ここで「理屈」と訳された言葉(ヘブル語ヒッシャボーン)は、考案品、発明品とも訳され得ます。正しい者として造られた人間は堕落してから、神の英知を捜し求めるのではなく、自分たちの考案品を求め始め、脳死なるものも「考案」されたのです。
 「ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか」(イザヤ29:16)。粘土なる人間が陶器師になる事は出来ないのに、全能者のふりをして、出来るとするのは傲慢の至りです。