ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

生後22日目に長女を看取った母親の絶望と癒やし。

 3月4日の朝日新聞の連続コラム「患者を生きる」では、6年前に夫婦の長女を生後22日で看取った母親の事が書かれていました。
 その幼子は13トリソミーという常染色体の異常が起きて、パトー症候群という病気になっていました。私の妹の子はダウン症なので21トリソミーになっています。このパトー症候群では、「生後1か月以内に約半数、1年以内に90%以上が亡くなるとのデータもあります。平均寿命は3〜4ヶ月…」という記事がネットにありました(http://www.13trisomy.com/13trisomy.html)。
 ですからこの大阪府の子も生後一ヶ月以内に亡くなってしまいました。丈夫な子の成長を期待していたこの母親は、希望を絶たれ悲しみに打ちひしがれました。そしてその気持ちを分かち合える人々が近所にいなかったので、夜仕事から帰ると、ネットでそうした経験を持つ人を必死で探しました。しかしなかなか同じ思いの人を見つけ出す事が出来ず、悶々たる日々を過ごしていたそうです。
 そんな或る日、彼女のもとに病児遺族の会「小さないのち」から一通のメールが届きました。その文章が心に響いた彼女は、それから4ヶ月後思い切ってその会に参加してみました。同じような経験のある遺族の方々が、彼女の話にうなずきながら傾聴してくれました。皆無言でしたが、心は十分に通じ合いました。彼女は徐々に癒やしの過程を歩み出しました。
 幼いいのちが生後間もなく断たれる、こんなむごい事はなかなかありません。それぞれが立ち直るまでに悶え苦しんでいます。
 聖書にもそうした経験のある人物が登場します。それは有名なイスラエル2代目の王となるダビデでした。
 サムエル第二11,12章を見ますと、子の信仰者にしてと思われるような気の滅入る話が続きます。ダビデは激しい戦いの最中、出陣せず夕方王宮の屋上に出ました。するとそこから一人の女がからだを洗っているのが見えました。彼女は名をバテ・シェバと言い、非常に美人でウリヤという夫の妻でした。しかしダビデはあえてこの女と姦淫の罪を犯したのです。しかも彼女に妊娠させてしまいました。困ったダビデはその夫であるウリヤを闇に葬ってしまったのです。
 全知全能の神はそれを見てよしとされませんでした。そこで預言者を遣わし、ダビデにその罪を認めさせられました。ダビデはへりくだって罪を告白したので、死ぬ事はありませんでしたが、バテ・シェバが産んだ子は必ず死ぬと主に言われました。
 果たしてその生まれた子は7日目に亡くなりました。もしかしたら13トリソミーだったかも知れません。
 ダビデは6日間断食して、泣いて主に子の命乞いをしました。祈り求めたのです。しかし願いはかないませんでした。そこでダビデはどうしたでしょうか。
 「するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮にはいり、礼拝をしてから、自分の家へ帰った。そして食事の用意をさせて、食事をとった」(サムエル第二12:20)。
 ダビデは気持ちの転換が早かったのでしょうか。いや、もしかしたら罪の刑罰として子の死を粛々と受容したのではないでしょうか。
 悲しみの中でも主を畏れ、やがてあの世で子に会えるというほのかな希望を抱いて立ち上がったのです。
 そして同じ悲しみの中にあったバテ・シェバを「慰め」とあります。夫婦は互いに慰め合いました。彼女にも立ち直るきっかけを与えました。そして夫婦の交わりを通し、ソロモン(=平和という意味)を産んだのでした。
 主なる神に忠実に従う人々でも、幼子の死では喪の途上の期間は長いかも知れません。でも…。
 「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように」と神に祈る事は出来ます。必ずやそう遠からぬ時期に主なる神は心を豊かに癒やし、また喜びの生活へと戻して下さるでしょう。